魔女狩りと「無垢なる少女の神話」

 おそらく近代のヨーロッパはその誕生の時期にあたって、その試練に対し、未来の予知による知的・全体的解決というsyntagmatism(統合主義)による幻想的応答を行なって失敗したのであり、これを取り消して現実原則にのっとった勤勉の倫理による応答に変えるためには、知識人自らに代わって無垢なる少女が贖罪の羊として燃やされなければならなかったのであおう。事実、ヨーロッパの指導的知識人のなかには今なお「無垢なる少女の神話」ともいうべきものが残っている。特にドイツではそのような観念の伝統がある。ヨーロッパの青年たちは、しばしばこの神話のために成熟した成年に達することができなかったり、通過儀礼のように、少女を踏み台にして成年に達し、罪責感をもつ。魔女狩りの残映のひとつではなかろうか(中井久夫分裂病と人類』東京大学出版会、1982年、pp.130-131)。


現代日本の大衆文化における「戦闘美少女」(斎藤環)の系譜は、ヨーロッパにおける魔女狩りの副産物である「無垢なる少女の神話」にまで遡ることができるでしょう。