超健康人幻想

 しかし、治療者と患者の共有しがちな「哲学」あるいは「固定観念」で、患者あるいは元患者が世に棲む妨げになっているものがある。その二、三については、間接的アプローチによる手当がとくに必要である。
 第一は、「治ることは働くことである」という哲学あるいは固定観念である。これは、容易に逆転されて「働くと治ったことになる」という命題となって患者をあせらせる。あるいは(魔女狩りに代わって登場した精神医療の基本線の一つとして)患者を「労働改造」させようとする。
(中略)
 第二には、「健康人とは、どんな仕事についても疲労、落胆、怠け心、失望、自棄なぞを知らず、いかなる対人関係も円滑にリードでき、相手の気持ちがすぐ察せられ、話題に困らない」という命題である。患者の持つ超健康人幻想をつとにオランダのリュムケも指摘しているが、精神科医もこの幻想を分有しているかもしれない。
(中略)
 「治る」とは「病気の前よりも余裕の大きい状態に出ること」でなければならないが、これも、よく考えてみると精神科の病気に限らないことだろう。この超健康人幻想は、患者を不毛な自己点検に追い込み、結局、病気は治っても「本職=患者」が残ることになりかねない。それだけでなく、しばしば、患者自身が他の患者を(あるいは自分を)「判定」し「診断」し「差別」するという事態が起こる。この眼は、公衆や医者の眼のとり込みであることが多いが、とにかく、こういう眼がつくられると、治癒への歩みを足踏みさせる要素となるのが普通である(中井久夫「世に棲む患者」『世に棲む患者』ちくま学芸文庫、2011年(初出1980年)、pp.33-35)。


*「超健康人幻想」とは言い得て妙です。