宗教と「経済的人間」

(前略)つまり、人類学者は、産業化とか科学の発展、すなわち「近代化」は、世界のどの国においても、その文化に彩られながら進行することに気づいてきた。サーリンズが指摘しているように、西欧社会においては、経済が「客観的に」人間の活動の中心をなしているのではなく、西欧文化の象徴構造が経済を「象徴的生産の中枢」に置き、それによって「経済的人間」をうみ出しているのである(大貫恵美子『日本人の病気観ー象徴人類学的考察ー』岩波書店、1985年、p329)。


*島薗先生は、著書『時代の中の新宗教』(弘文堂、1999年)において、近代日本の新宗教の倫理を「<功利的>和合倫理」と特徴付けて分析していますが、これは、新宗教を西欧近代の「経済的人間」モデルに引きつけすぎた分析ではなかったのでしょうか。