現代日本の「グノーシス症候群」の背景

「わたしは何のためにここにいるのだろう?」「こんなわたしでもまだここにいていいの?」・・・・・・。
 自己の存在理由をめぐるそんな問いに、幼いといってもいいような年頃からさらされているというのは、悲痛なことである。
 このような問いは、かつては、寝たきりになって他人に世話をしてもらうばかりで、何の役にも立っていない(と思い込む)、そんな高齢者が抱え込むものであった。あるいは、仕事や生活にひどい違和を感じて、人生の道に迷う、そんな大人たちが抱え込むものであった。
 ところが、現代社会では、こうした問いに、十代どころか小学生のあいだからさらされている。自分でも理由がよくわからない自己否定の感情、ないしは焦りやあきらめを、内に深くためこんでいる(鷲田清一「<わたし>にできること、できないこと」『大事なものは見えにくい』角川ソフィア文庫、2012年(初出2009年)、p17)。


現代日本の「グノーシス症候群」の背後には、「自己の存在理由をめぐるそんな問い」があるのでしょう。