無縁社会から<選択縁>へ

 地域の役に立つことを常に心に置いている荒井会長(熊田註;天理教の分教会長)の“アンテナ”は、現代の難渋にも敏感に反応している。荒井会長が近年、足繁く通う場所がある。教会から約二キロ、利根川に架かる埼玉大橋近くにある「道の家 童謡のふるさとおおとね」の駐車場だ。
 早朝、駐車している車をチェックし、東北や関西など遠方のナンバープレートを付けた車が一週間以上止まっているようなら声を掛けてみる。
 車に布団を積み込んでねぐらにし、昼間は仕事に出ている人が案外多いのだという。そうした人のなかには、事業の失敗や消費者金融への借金、家庭内でのトラブルなど、さまざまな事情を抱え、家に戻ることができない人が少なくないからだ。
 「お役に立てるかもしれません」と声を掛け、回を重ねて話しかけるうちに、心を開いてもらえることもある。教会に住みこむようになった人もあり、これまでに七人が修養科(熊田註;天理教の修行コース)を修了した。荒井会長は、借金の過払い金の整理を手伝うほか、住まいや仕事を斡旋するなど、自立・自活に向けてのサポートに尽力している(天理教機関誌『みちのとも』2011年1月号、p.51)。


*教団宗教によるこうした地道な社会救済活動は、とても大事なものだと思います。19世紀が地縁・血縁の時代、20世紀が社縁の時代だったとすれば、21世紀の日本社会はこうした<選択縁>の時代になるでしょう。