アディクションにおける医療と宗教

 日本では、1990年代中盤には、アディクションアプローチをとりこんだ精神科デイケア(DC)が広範に始まり、パラメ(熊田註;パラメディカル)をスタッフとして雇用する事態が起きた。DCの保険点数高額化に伴い、開業精神科クリニックはDC要員としてパラメを取り込んで、アディクションを医療化することに成功した。アディクション本人や家族は保険診療の料金体系のDCを利用することで、結果としてセンター(熊田註;原宿カウンセリングセンター)から姿を消した(信田さよ子「日本の精神科医療の男性中心主義についてー非医療モデルに立脚した援助機関を運営する立場からー」『宗教と社会』16号、「宗教と社会」学会、2010年、p.285)。


アディクションアプローチがこのように「医療化」されてしまうと、浄土真宗の修行法から派生した心理療法である内観療法が、時として、浄土真宗僧侶である宇佐美秀慧の言う、宗教の信仰から切り離れた「切花内観」になってしまうような危険性が、12ステップス・スピリチュアリティにも生じるのではないでしょうか?