引きこもりの男性が多い理由

http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1001/11/news002.html より転載

 東京都の2008年調査によると、“引きこもり”の71.4%が男性なんだそうです。なぜ男性は引きこもるのか? なぜ女性は引きこもらないのか?
 「男子は生まれつき“引きこもり遺伝子”を持っているのだ」という方向にいくと議論にならないので、ここでは環境要因を考えてみましょう。


「外の世界」は男性に厳しい

 引きこもる人にとっては、「引きこもらない日常生活」は苦しくつらいものであり、それよりは「引きこもる生活」の方がまだマシ(よりポジティブ)なのでしょう。
 まず、男性にとってはこの「引きこもらない日常生活」が、女性よりも圧倒的に困難なのだと想像されます。なぜなら社会生活から受けるプレッシャーは、男女同権とされる今でも男性の方がかなり大きいからです。
 「フリーターのままだと結婚できない」と思う女性は少ないですが、男性はほぼ全員がそう感じる(思わされる)でしょう。この「男は稼いで当たり前」という社会通念だけでも、男性に大きなプレッシャーをかけていると思います。
 仕事だけではなく個人生活においても、社会は常に男性にリーダーシップを期待します。「プロポーズはやっぱり男性がすべき」であり、「いざという時には男性が主導権を取るべき」「何かの時には、女子どもを先に保護すべき」といった感じです。
 人前でうまくしゃべれない女性は「奥ゆかしい」「おとなしい」と言われますが、男だと「頼りない」「しっかりしていない」です。
 つまり、「外の世界」はまだまだ圧倒的に男性に厳しい。引きこもりたくなる男性が女性より多いのは当然と思えます。
 また、女性は「家事手伝いをする」ことで擬似的に「引きこもりつつ、引きこもりと呼ばれない」という逃げ道を持っていますが、男性の場合、“主夫”ならともかく、未婚で親の家に住んでいて「家事手伝いです」はちょっと厳しいですよね。「外で戦わないなら、引きこもるしか道がない」のが男性のつらいところです。


「引きこもる能力」が高い男性

 同時に、「引きこもる能力」も男性の方が高いように思います。
 引きこもった人が何をやっているかというと、今ならPC、少し前はテレビゲーム、その前の時代がマンガでしょう。どれも圧倒的に男性ファン比率が高い娯楽です。そして、これらはどれも「引きこもって楽しめる」趣味ばかりです。
 一方、女性が好きな「ショッピング」「おしゃれ」「ケーキの食べ歩き」などは引きこもっていては楽しめません。つまり、引きこもった状態を「そこそこ楽しくすごす」ための趣味が男性には多くあり、女性には少ないんです。言い換えれば「男性の引きこもり能力は、女性より圧倒的に高い」のです。
 女性でも「人間関係も社会生活も苦手」な人はいるでしょうが、引きこもったとしても楽しく過ごせないので、「どっちもどっち」となり、そうなるとあえて引きこもる意味がない。男性とはちょっと事情が違います。
 男女差の話とは違いますが、昔は引きこもりなんていなかったのではないでしょうか。鍵のかかる個室が確保されていた子どもは少ないでしょうし、子ども部屋にPCはもちろんテレビさえ置いていない。すると「引きこもる生活」が不可能、もしくはあまりに退屈になるので、物理的に「引きこもる」という選択肢がなくなりますよね。
 「引きこもるかどうか」は、「引きこもらない日常のつらさ」と「引きこもる生活の快適度」の比較で決まります。男性は日常生活が女性よりつらく、引きこもる快適さの方は女性より高い、ということではないかと思います。


一人遊びの能力

 「引きこもり生活の快適さ」を高める能力として、ほかに「一人遊びの能力」があります。
 一人遊びの能力とは、一種の“空想力”です。漫画やゲーム、Webの世界、もしくは自分の思考の中に作り上げた仮想世界に生きる能力が、長期間の引きこもり生活(=他者との関わりを最小化した生活)には不可欠で、これが苦手な人は引きこもれません。空想力が低いと、上記の女性の場合と同様、引きこもる生活の相対的な快適度が小さくなるからです。
 興味深いのは、この“空想力”が実は社会やビジネスの現場でも重要だということです。「自分がこう言えば、相手(顧客や競合)はどう思うか、どう行動するか」「こんな商品やサービスが実現したら消費者や社会はどう反応するか?」を事前に空想する能力は、仕事に不可欠です。ビジネスや社会生活に有用な能力が、一方で社会と隔絶した生活を送るためにも役立つというのは皮肉なことです。
 さらに言えば、この“空想する力が強すぎる人たち”は敏感で繊細で傷つきやすい。実際の世の中では、人は平気で他者を傷つけます。いちいち傷ついていたら心が持ちません。しかし、想像力の強い人たちは、相手が何気なく言ったことも必要以上にいろいろ妄想して傷ついてしまいます。それを避ける究極の方法が「部屋にこもって想像だけの世界に生きる」という選択肢なのでしょう。
 ちきりんは「引きこもりが悪い」とも「減らすべき」とも強くは思っていません。大半の場合、生活費は親が出しているし、他人に迷惑をかけているわけでもないですから。ただ、引きこもっている当事者の多くは「この生活から抜け出したい」と思っているのではないでしょうか。もしそうならば、「何らかの支援をしてあげられたらいいよね」と思います。


引きこもりにならないようにするための方法

 人が引きこもりにならないようにするための1つの方法は、こうしたとても傷つきやすい人たちが「傷つかない能力を身につけること」、もしくは「うまく傷つく方法を学ぶこと」だろうと思います。
 人は鈍感になれば傷つきません。感受性や想像力が強い性格を根本から“鈍感化”するのは難しくても、訓練によって“慣れる”か、もしくは最初から“期待値を下げる”工夫などは効果があるのではないかと思います。
 思えば昔は、子どものころから日常的に傷つく経験がありました。小学校の最初から◎○△ではなくて数字で成績が付けられていたし、運動会でも順位は明確でした。学芸会の主役はくじ引きや順番で“公平”に選ぶのではなく、“見かけがよくて明るいはきはきした子”を先生が選んでいました。親も自分の子どもを守るために学校にイチイチ介入してきませんでしたし、「がっかり」「悲しい」「大ショック!」な機会は昔の子どもの方が多かったと思います。
 すでに子どもではなく長きにわたって引きこもっている人で、「これから社会復帰をしよう」という場合は、“バッファー”として、少しずつ傷つくことに慣れながら働く経験ができる“訓練用職場”みたいな場所が必要かもしれません。そうではないと、“自室からいきなり社会”では今の現実はちょっと厳しすぎると思います。
 また、「一生の間に、人間は全員100万回傷つくものです」とか教えるのもいい方法かもしれません。ショックなことが起こったら“正の字”を書いて数えればいい。何かあっても「ああ、これは100万回の中の1回なんだな」と思えるように。
 ほかの方法でもよいのですが、とにかく「自分が傷つかない方法」をそれぞれの人が発見して身につけていかないと、人生ってのはつらすぎるし、現実ってのは厳しすぎる。そんな気がします。
 そんじゃーね。