太宰治と「性教育」

(前略)だが、彼の性方面に早熟だったことは読書(熊田註;原文旧字体)よりも或は次のことに影響されたのかもしれない。それは彼が六七歳(原文旧字体、以下、単に旧字体と表記)の頃から、もう女中や下男から淫らな露骨な性教育を受けて居たことであった。
(中略)
(前略)この家の奉公に来(旧字体)て以後は、如何なる男とでも親しく話すことさへ厳禁(旧字体)されて居る彼女達は性欲(旧字体)的に烈しく飢(旧字体)えて居たのは言う迄(旧字体)も無い事であらう。彼女達は返つて此の小暴君(熊田註;主人公のこと)の臨場は寧ろせめてその慰めであったので、この小暴君の持つ幽な男を自分達の性欲を満足(旧字体)せしむる為(旧字体)に、この健康な婦人達は、あらゆる方法で利用できるだけ利用し尽(旧字体)したのであった。幹治(熊田註;主人公の名前)はこの女中部屋でどんな露骨な性教育を受けたのかそれは人々の想像に任した方がいいかも知れない(太宰治「無間奈落」『太宰治全集1』筑摩書房、1999年(初出1928年);pp.127-129)