太宰文学と性的虐待

 太宰治が実際に性的虐待を受けながら育ったのかどうかはわかりませんが、太宰に性的虐待をテーマにした作品が多いのは確かです。やはり、何らかの実体験があったと推測されます。『男女同権』(初出1946年)における少年が受けた性的虐待の描写は、「主体になることは名誉、客体になることは恥」という、太宰がすっかり内面化しきっていた近代的な男性セクシュアリティの特徴をうまく捉えていると思います。


Wikipedia「子供に対する性的虐待を扱った作品一覧」より
『無限奈落』(1928年,太宰治
「この小暴君の持つ愚かな男を自分たちの性欲を満足せしめる為に、この健康な婦人達は、あらゆる方法で利用できるだけ利用し尽した」と述べられる。未完作品。
『魚服記』(1933年,太宰治
茶店の娘スワが、酒に酔った実父から手籠めにされ、滝壺に投身自殺してフナに生まれ変わる話。
『男女同権』(1946年,太宰治
性的虐待に関係したエピソードは

「そうして、やはり、私が十歳くらいの頃の事でありましたでしょうか、この下女は、さあ、あれで十七、八になっていたのでしょうか、頬の赤い眼のきょろきょろした痩(や)せた女でありましたが、こいつが主人の総領息子(むすこ)たる私に、実にけしからん事を教えまして、それから今度は、私の方から近づいて行きますと、まるで人が変わったみたいに激怒して私を突き飛ばし、お前は口が臭くていかん! と言いました。あの時のはずかしさ、私はそれから数十年経ったこんにち思い出しても、わあっ! と大声を挙げて叫び狂いたい程でございます。」

と述べられている。
人間失格』(1948年,太宰治
主人公(大庭葉蔵)の自白という形式の小説。小学校時代の回想部分である第一の手記の後半部分に簡潔に記されている。「その頃、既に自分は、女中や下男から、哀しい事を教えられ、犯されていました。」(新潮文庫、P20)なお、この作品の描写は非常に適切で、宮地尚子がMike Lewに読んでもらうよう頼んだところ、男性被害者らから大きな反響があったという。