男性問題としてのアルコール依存症とDV・児童虐待

 男性性研究に携わる者の端くれとして、アルコール依存症とDVや児童虐待の問題を男性学の立場から再検討しています。上野千鶴子さんがおっしゃるように、「男性自身の謎は男性自身のよって解かれるべきである」と考えるからです。「覇権的男性性」(「男の中の男」のイメージ)に伴う「名誉/恥」の感覚をどう扱うかが、問題解決のヒントになるような気がしています。素人考えですが、「恥」と「酒」の悪循環がアルコール依存症(恥ずかしいからますます飲む)、「恥」と「暴力」(恥ずかしいからますます妻子に暴力をふるう)の悪循環がDVや児童虐待、という側面があると思います。
 話は変わりますが、太宰治の小説『人間失格』(1948)の冒頭は、「恥の多い人生を送ってきました。」です。もし、太宰が「罪深い人生を送ってきました。」と書くような小説家だったら、ああいう破滅型の死に方はしなかったと思います。アルコホリコス・アノニマス(AA)の治療効果の秘密の一端は、「恥と酒の悪循環」(水平の関係)から「神の愛と自己の罪」(垂直の関係)の方向へと発想を転換をさせることにあるのではないでしょうか?