太宰治の父子関係(2)

  私の父は非常に忙しい人で、うちにいることがあまりなかった。うちにいても子供らと一緒には居らなかった。私はこの父を恐れていた。父の万年筆をほしがっていながらそれを言い出せないで、ひとり色々と思い悩んだ末、ある晩に床の中で眼をつぶったまま寝言のふりをして、まんねんひつ、まんねんひつ、と隣部屋で客と対談中の父へ低く呼びかけた事があったけれど、勿論それは父の耳にも心にもはいらなかったらしい。私と弟とが米俵のぎっしり積まれたひろい米蔵に入って面白く遊んでいると、父が入り口に立ちはだかって、坊主、出ろ、出ろ、と叱った。光を脊から受けているので父の大きい姿がまっくろに見えた。私は、あの時の恐怖を惟うと今でもいやな気がする。
 母に対しても私は親しめなかった。乳母の乳で育って叔母の懐で大きくなった私は、小学校の二三年の時まで母を知らなかったのである(太宰治「思ひ出」『作家の自伝36 太宰治日本図書センター、1995年(初出1933年);p14)。


 太宰治(1909-1948)の実父は、1923年太宰が14歳の時に52歳で死去しており、小説「人間失格」(初出1948年)に登場する主人公の父親像は、現実からはずいぶんデフォルメされていると思います。