近代における廃墟趣味の系譜

 廃墟は、その荒廃ぶりが徹底していればいるほど、人間の無力さを感じさせるが、同時に偉大さも感じさせてくれるのだ。眼前にひろがる湖陵と闇の深さに慄然としながら、同時に不思議な力が身内に湧いてくるのを感じる、否定と肯定の両面をそなえた得体の知れない場所、それが廃墟なのである。

(中略)

 十六世紀のイタリアにはじまり、十八世紀に全ヨーロッパを席巻した廃墟趣味、庭園に人工廃墟までつくる<ザ・ピクチャレスク>の流行からロマン主義の文学、廃墟趣味が頂点に達したとされるカスパル・D・フリードリヒ『樫の森の修道院』(一八一〇年)以下の廃墟画の隆盛を経て、十九世紀に写真が発明されると、廃墟への憧れはさらに高まった。<時間をフリーズさせる装置>が、廃墟を描くのに好適と思われたわけだが、死んでいるのではなく、ねじれて流れている時間を描くのにより適した手段は映像だ、と私は考えるのである(吉田直哉「映像とは何だろうか」岩波新書、2003年;pp199-200)

 現在の先進国におけるゴシック文化の隆盛は、近代におけるこうした廃墟趣味が大衆化したものなのでしょう。