書評『近代日本の民間精神療法』

『宗教研究』400号(日本宗教学会、2021年)より

 

<書評論文>

栗田英彦・塚田穂高吉永進一(編)『近現代日本の民間精神療法-不可視な(オカルト)エネルギーの諸相-』国書刊行会、二〇一九年九月刊行、A五版、三九九頁、四〇〇〇円

<評者>熊田一雄(愛知学院大学文学部宗教文化学科) 

 

 

 文句なしに労作である。今後、この分野に関心をもつ多分野の研究者にとって、井村宏次『霊術家の饗宴』(心交社、一九八四年)、田邊慎太郎・弓山達也・島薗進(編)『癒しを生きた人々-近代知のオルタナティヴ-』(専修大学出版局、一九九九年)についで、必読文献と位置づけられるようになるだろう。本書は、単に学術的に成功しているだけでなく、四〇〇〇円+税という高価な価格にもかかわらず、この種の分厚い学術論文集としては例外的に、増刷され(二〇二一年三月時点)、商業的にも成功した。           

 この小文では、本書の内容を紹介し、どうして本書が商業的に成功したのか、現代日本における精神医療の現状に対する人々の不満という観点から、若干の考察を加えてみたい。

 本の帯では、本書は次のように紹介されている。

 

 霊術・精神療法を総覧するオカルト史

 

  催眠術は明治に輸入されて大正期に霊術・精神療法へと発展し、ヨーガと日本の腹式呼吸法が混じり合い、エネルギー概念が「気」に接合される。これは「呪術の近代化」「催眠術の呪術化」であり、西洋の近代オカルティズム、アメリカのニューソートと並行するグローバルなオカルティズム運動であった。その全体像を多様な視点から横断的に描く、初の本格的論集。

 

 まず、吉永進一による「序論」を見ておこう。

「つまり、当時(大正時代-熊田注)、精神療法は、森田(森田正馬-熊田注)のような医学的療法を除けば、霊術とほぼ同じもの指しており、療法家たちにとっては霊術よりも認知度は高かったように思われる。

 昭和期に入ると、これらの術は急速に衰退していく。民間療法自体はさらに隆盛に向かっているが、より物理的な療法(田邊の分類では七の寮術)に中心が移り、現代では野口整体中村天風(一八七六-一九六八)、そしてレイキヒーリングといったものがわずかに大正時代の遺産を伝えるばかりで、新宗教に流れ込んだ一部を除けば、多くのものは後継者もなく姿を消している。そして一九八〇年代、研究者が再発見するまで、霊術ブームは忘れ去られていた。

 しかし、それらの術は忘れ去られたのかどうか。個々の技法の盛衰はともかく、宗教ではないが、宗教的な心身技法は今も盛んに実践されており、たとえば、マインドフルネス瞑想やヨーガなどは、その好例である。スピリチュアル、スピリチュアリティといった総称で呼ばれ、そのような心身技法が商業的に伝授され、個人は技法を自由に実践し、何らかの経験を得ようとする。あるいは、個人と大いなるものとの交流という、現代のスピリチュアルな風潮の特徴も霊術・精神療法に見られた。

 実のところ、大正時代の霊術や精神療法の流行は、一九八〇年代に再発見されてから、つねに「現代」との対比で語られてきた。今まで十分に検討されてこなかったのは、現代と過去の対比ではなく、現代と過去、そしてそれ以前をつなぐ歴史の流れである。確かに大正期はブームであったが、これはどういう経路で生まれ、そしてどういう経路で消えていったか(あるいは姿を変えていったのか)。問題は単純ではなく、ひとつは霊術・精神療法の技法と思想の系譜、そしてさまざまな技法が売買される社会的場がどうして大正時代と一九八〇年代以降に発生したのか、という二つの問題がある。本論集の意図はささやかなものであり、前者の視点から、今後の歴史研究の基礎を構築することにある」(頁六-七)。

 そして、先行研究として、井村宏次『霊術家の饗宴』(心交社、一九八四年)、西山茂「現代の宗教運動-<霊=術>系新宗教の流行と「二つの近代化」」、田邊・弓山・島薗(編)『癒しを生きた人々』(専修大学出版局、一九九九年)の三つを取り上げ、以下のように要約している。

「以上、要するに、井村は、霊術というカテゴリーを発掘し、宗教、科学とは独立した精神的技術として定義づけ、呪術的な性格を強調した。西山は、術を主体とする宗教の流れに霊術を位置づけ、改めて宗教というカテゴリーに含めた。『癒しを生きた人々』は、これに対して宗教という用語を避けつつ、さらに広い範囲を設定し、その背景にあった修養や養生などの宗教周辺にあった伝統的身体論に着目した。

 これらの中で「術の宗教」「癒しの運動群」は、周辺領域を広く含み、一面では創造的な視野を切り開いてくれるものの、現代的な視点からの意味づけが大きく、曖昧である。当時の用語法に根ざす井村の「霊術」概念は、歴史研究の出発点として優れてはいるものの、呪術的な部分に重点がおかれ、技法、思想面で精神療法と関係の深かった修養文化が除外されているという問題がある。また、大正時代の使用法を確認する限りでは、霊術よりも精神療法のほうが使用頻度が高い。そこで、以下、改めて「民間精神療法」という言葉を用いて、桑原俊郎以降の療法運動をひとつの領域として論じてみたい。

 「精神療法」ではなく「民間精神療法」という用語が用いられるのは、以下のような理由による。

 「大正後期の霊術という語は、交霊、密教、祈祷などの呪術的な技法を指して用いられることが多く、その意味で井村の用語法は正しいのであるが、しかし、明治後期の桑原俊郎から昭和初期のお手当療法に至る全体を指すには、精神療法という用語のほうが適当であり、誤解を招かないようにするならば、医学的なものと区別して、「民間精神療法」と呼ぶほうがふさわしいであろう」(頁一二)。

 その歴史は、以下のように要約されている。

「精神療法は、大正期には、医学(科学)と宗教のあいだに、心身修養や心霊研究などとともに第三の領域を形成したと言える。それが昭和期に入ると医学(科学)、療術・家庭療法・健康道、宗教という三分法になり、精神療法の特徴的な技法などは家庭療法と宗教の一部に伝えられ、表面的には姿を消したわけであるが、宗教ならざる宗教的な治病技法の場は、療術などや、生長の家のような宗教周辺に存続したと見るべきではなかろうか」(頁一六)。

 精神、あるいは精神療法という語が定着した理由は、思想的な面からは次のように論じられる。

「ここでエーテルとは光を伝える媒質という物理学的な意味ではなく、空気中に含まれるエネルギー概念となっている。しかも、それは宇宙に充満する精神と同一でもある。エーテルのような流体説は、ラマチャラカのプラーナ説の紹介もあって、檜山以降の精神療法家に人気を博した。エーテル、プラーナ以外にも、ラジウム、オーラ、霊気、生気など、さまざまなエナルギー概念が精神療法に入っている。心身二元論などの影響によって、精神や霊が実体的なものとイメージされるようになったために、媒介物の概念を導入する必要があったとも言えるし、治療体系に呼吸法が入ってきたために、呼吸の超常的効果を説明する上で、現実の空気を生命エネルギーや大いなる存在に結びつける、護持科学的用語が必要であったともいえる。民間精神療法は、伝統的技法の治療法・修養法化(坦山の禅、川合の神仙術、溝口の気合術)、催眠術の呪術的な変容を源泉として発生し、最終的には健康法、家庭療法、新宗教へと流れ込んで姿を消していった。鍵となる用語は「生気」「電機」へと移っていったが、それは「精神」の概念と無縁ではなく、それを補完するものであったと言えよう」(頁二〇-二一)

 本論の構成は、以下の通りである。

 

  • 流入する科学エネルギーとヨーガ
  • 物理療法の誕生-不可視エネルギーをめぐる近代日本の医・療・術(中尾麻伊香)
  • 松本道別の人体放射能論-日本における西欧近代科学受容の一断面(奥村大介)
  • ウィリアム・ウォーカー・アトキンソン-別名、ヨガ・ラマチャラカ(フィリップ・デスリブ(佐藤清子訳))
  • 産み出す<気>と産み出される<思想>

  第一章 政教分離・自由民権・気の思想-川合清丸、吐納法をもって天下国家を平地す(栗田英彦)

 第二章 玉利喜造の霊気説の形成過程とその淵源-伝統と科学の野合(野村英登)

 第三章 霊術・身体から宗教・国家へ-三井甲之の「手のひら」療治(塚田穂高

 第四章 活元運動の歴史-野口整体の史的変容(田野尻哲郎)

 第三部 還流するレイキ

  • 大正期の臼井霊気療法-その起源と他の精神療法との関連(平野直子)
  • 臼井霊気療法からレイキへ-トランス・パシフィックによる変容(ジャスティン・スタイン(黒田純一郎訳)
  • 「背景化」するレイキ-現代のスピリチュアル・セラピーにおける位置づけ(ヤニス・ガイタニディス)
  • 民間精神療法主要人物および著作ガイド(栗田英彦・吉永進一

  はじめに

  • 萌芽期 一八六八~一九〇三年
  • 精神療法前期 一九〇三~一九〇八年
  • 精神療法中期 一九〇八~一九二一年
  • 精神療法後期 一九二一~一九三〇年
  • 療術期 一九三〇~一九四五年

 

 「あとがき」で、吉永進一は以下のように述べている。

 「宗教と治病については、過去にさまざまな研究がある。新宗教研究や修験道研究などでは、むしろ当たり前の題材といっていいだろう。ただし、精神療法とは、伝統的な宗教的治病の脱宗教化、あるいは心理学の土着化によって、宗教とは別のものとして成立した。そのために今まで宗教学で、精神療法がひとつの独立した領域として研究対象になることはあまりなかった。本書はあえてそこに踏み込もうとした。踏み込みが足りないという評はあるかもしれないが、とにかく一歩を進めることはできたかと思う」(頁三八五)

 そして、本書の基本的仮説を次のようにまとめる。

 「ひとつは、個と個のあいだの見えない関係性、万物が感応しあう宇宙観についてである。近代にはいって迷信とされ排除されたとされるが、実際は断ち切られることなく続き、民間精神療法は科学や哲学でこれを基礎づけようとしたのではないか、という説である」(頁三八五)

 このことは、次のように説明される。

 「あるいは、宗教学の視点からすると次のように言えよう。周知のように「宗教」という概念は外来語であり、プロテスタント的なビリーフを基本として定義された。これによって科学と宗教の間には安全な棲み分けがなされ、ビリーフを共有する信仰共同体の中で、見えない関係性は暗黙の前提として存在することになる。従来の研究では、その用語法によって切り捨てられたプラクティスの部分が、迷信として社会の片隅に追いやられたように語られる。しかし実際には、民間精神療法という形で、呪術的な技法は近代化され、脱宗教化されて、一般社会の基礎構造(医療、科学、社会倫理、政治など)に入りこもうとしたのではないか、というのがこの本の仮説である。端的に言えば、近代は呪術を脱したのではなく、呪術も近代化したのであり、その顕著な現象が民間精神療法であったのではないか。これを学説史から見ると、ウェーバー近代化論の見直しということになる。ウェーバーの唱えた世俗化論はいろいろな形で見直されはじめてからすでに長く、日本では特に宗教社会学者、西山茂の<二つの近代化論と再呪術化>はひとつのメルクマールとなったが、それをさらに見直すことになるのではないか」(頁三八五-三八六)。

 「呪術の近代化」に加えて、本書のもうひとつの基本テーゼは「グローバリズム」とされている。

 「もうひとつの本書の基本テーゼは、グローバリズムである。民間精神療法の近代化は、祈祷者たちの自己変革というよりは、外来の技法(催眠術)の呪術化・土着化という形をとっている。その意味で民間精神療法は、一九世紀、二〇世紀のグローバル・オカルティズム(催眠術、スピリチュアリズム、神智学など)というキリスト教や資本主義と並ぶ「もうひとつの」グローバリズムにつながる運動なのであり、それがレイキのような日本発のグローバルなスピリチュアリティの形成にもつながったのである。つまり、「太平洋を往還するスピリチュアリティ」というイメージである」(頁三八六)

 そして、近代仏教史研究との関係を次のように述べる。

 「これは、正直に言えば、近代仏教史において近年盛んになっている近代化のモデルを借用したものである。仏教は明治一〇年代、二〇年代に西洋哲学を吸収してそれ自身を近代化していった。鈴木大拙の仏教解釈が世界に広まった背景には西洋思想の影響があった、と言われる。レイキヒーリングも、本論集で論証しているように、ラマチャラカのようなアメリカ生まれのヨーガが日本に輸入され、他の宗教文化と混じり合いながらレイキとして成立し、世界に向けて再輸出される、というコースをとった。それだけでなく、今回の論集では十分論じ切れていないが、民間精神療法自体が、仏教の近代化、哲学化の祖である井上円了による催眠術の紹介、そして真宗大谷派の熱心な門徒で知識人であった桑原俊郎による呪術化、という過程を経ている。仏教近代史における民間精神療法の位置づけは、今後の課題であろう」(頁三八六-三八七)。

 そして、宗教学という視点からだけではなく、医学史の観点から問題を見ることもできる、とする。

 「以上は宗教学という視点からの要約であるが、これはまた医学史から見ることもできる。近年、精神医学史研究のなかで、宗教文化の影響を見る研究が進んでいる。日本でいえば橋本明の近世における精神病治療施設の研究、あるいは東洋における精神分析の土着化を調査したクリス・ハーディング、阿闍世コンプレックスを唱えた古澤平作における仏教者近角常観の影響を発掘した岩田文昭の業績が挙げられる。文化的な制限のないはずの科学がそれぞれの文化からの影響を受けつつどのように変容していったか、という問題である。本論集では、奥村大介、中尾麻伊香の二人が、そのような最近の科学思想史の観点から、民間精神療法にアプローチしている」(頁三八七)

 そして、以下のようにまとめている。

 「以上のように、民間精神療法の研究はいくつもの領域に関わる興味深い研究対象であると自信を持って言えるが、さて実際に研究するとなると、宗教史、社会史、科学史、医療史などさまざまな分野にまたがっていること、そしていまだそれぞれの領域では逸話(アネクドート)の域を超えないテーマであることもあり、共同研究者を探すことは大変難しい。ただ、今回の研究のもとになった共同研究で意外にスムーズに参加者を集めることができたのは、時代の要請があるのかもしれない」(頁三八七)。

 冒頭に述べたように、本書は学術的に成功しただけではなく、高価な学術論文集であるにもかかわらず、重刷され、出版は商業的にも成功した。これは、吉永も示唆しているように、本書の刊行が「時代の要請」に応えていたからであろう。私は、吉永の言う「時代の要請」の中核には、現代日本社会における精神科医療の現状に対する不満、具体的には薬物療法中心主義と認知行動療法中心主義に対する人々の不満があると思う。

 医療人類学者のクライマンは、精神医療を、一.専門家セクター、二.民間セクター、三.民俗セクターに三分した。現代日本においては、精神科医臨床心理士が担う「専門家セクター」に対する人々の根強い不満があり、それが本書で取り上げられたような「民間セクター」に対する期待に結びついているのではないだろうか。精神科医の間では毀誉褒貶があるようだが、代替医療に詳しいことは間違いない、「精神科養生のコツ」を説く精神科医神田橋條治の著作に対する大衆人気とも一脈通じていると思う。

 弱肉強食の趣もある新自由主義の経済体制下、現代日本精神科医療の現場は、薬物療法と、心理療法としては認知行動療法とに染め上がられている傾向がある。背景には、健康保険の点数に支えられた医療費削減という「会計の声」(ストラザーン)がある。「短期間で確実に効果があるという科学的根拠のある治療法」として、現代の精神科医療では、薬物療法認知行動療法ばかりがクローズアップされがちなのである。

 もちろん、薬物療法認知行動療法も、治療に効果があるという「科学的根拠」(Evidence)があるので、否定するつもりは毛頭ない。しかし、薬物療法認知行動療法が、人類が長年蓄えてきた知恵の蓄積を排除することになったとしたら、それは本末転倒の事態である。そして、宗教とは人類のそのような知恵の貯蔵庫である。

 精神科医の江口重幸は、現代日本精神科医療における薬物療法中心主義と認知行動療法中心主義を、以下のように簡潔に批判している。

 

 したがって、当人の外側に付着する障害や症状に焦点を当て、その主要症状に特異的に奏効する薬物療法で治療することが第一であり、それでも慢性化する障害にはその症状と認知的に折り合うようにさせ、心理・社会的なリハビリテーションを処方するという、きわめてわかりやすい図式化が出現した。こうした発想からすると、かつての精神療法や精神病理学的アプローチは、「内在化」した人格全体を扱おうとするために、当事者や家族のいわば「道徳的(モラリスティック)」な内的部分に立ち入ることになり、かえって忌避される傾向を生み出している(江口、二〇一九年、頁二八五-二八六)。

 

 精神科医中井久夫は、「科学的根拠に基づく医学」(EBM=Evidence Based Medicine)とは別に、「ダメでもともと医学」があってもいいのではないか、と述べている。

 

  私は、「証拠にもとづいた医学(EBM)」とともに、「ダメでもともと医学」というものがあってもいいと思うんですよ。「ダメもと医学」ですな。英語でどう言うのかわかりませんけれど、とにかくお金がかからず無害なことならいい。野球でも打率三割なら立派なんですよ。「夢に出てきたらすぐに私に言ってくるように」といっても幻聴や妄想を強めることはありません(中井、二〇〇七年、頁四一)。

 本書のいう「民間精神療法」は、中井のいう「ダメもと医学」の性格もあると思われる。また、一九世紀においては、西洋でも精神療法は催眠や暗示療法とほぼ同義であった。

 

  やや議論の道筋をはずれるが、今日使われる「精神療法」や「心理療法」(つまりpsychotherapie)という語は、一八八〇年代のオランダで、催眠=暗示療法を示す用語として鋳造され、当時の興行催眠術師の催眠術との差異を強調するために「催眠=暗示療法」に代わって使用された言葉であるという歴史を想起すべきであろう。二〇世紀に入るまで、サイコセラピーは催眠や暗示ほぼ同義だった(江口、同上(初出一九九九年))。

 

 しかも、一九世紀の西洋社会では、催眠や暗示は高い治療成績を上げていたようである。

 

(前略)患者は、来訪して、抵抗、浅い眠り、深い眠り、遊行の四段階の深度の催眠状態に入り、暗示などを加えて覚醒するというシンプルな治療である。しかし一回から数回の治療で身体疾患を含めて約七、八割が改善を見ている(うち三割は治癒)。これは当時の催眠治療では平均的な改善率である。現代のように科学的根拠のある向精神薬が処方され、精神療法が整備された時代の改善率はこれを上回るものになるだろうか(江口、同上、頁三三六)。

 

 もちろん、持ち込まれる病気の性質が現代とは違ったのだろうが、少なくとも大正時代に民間精神療法が流行したことには、「実際に治る」という事実の裏付けがあったのだろう。

 認知行動療法(CBT=Cognitive Behavioral Therapy)に対しては、力動精神療法(無意識の心理学)に比べて安価で短時間で終了するという利点の反面、「深層心理学」をもじっていえば「浅層心理学」であるとして、次のような批判もある。社会学者の平井和幸は、認知行動療法には「新自由主義的規律」の側面がある、と手厳しく批判している。

 

 これは、社会の中で集合的に解決されるべき問題を、個人の認知行動特性に過剰に帰責させ、自己コントロール・自己責任の枠組みでエンパワーさせようとするCBT(認知行動療法-熊田注)のあり方を批判し、「自己コントロールの社会化」の重要性を指摘した平井秀幸の問題提起にも関連していると言えよう(平井二〇一五年)(熊谷、二〇一七年、頁一四二)。

 

 現代日本の精神医療の「専門家セクター」が薬物療法中心主義と認知行動療法中心主義に染まりがちなことは、精神医療から、かつて宗教が担ってきた人間的な「成長」という概念が後退していることと深く関係している。精神科医の笠原嘉は、精神医療の現場から「成長」の概念が後退していることを、次のように嘆いている。

 

 もっとも、「成長」と言う言葉は今日も精神医学の世界で通用するのかどうか、検討に値するように思える。DSM-III(一九八〇年に刊行された「精神医学の統計と診断マニュアル」第三版-熊田注)以降、神経学的・公衆衛生学的精神医学が主流になってから、そして治療学でも認知学、行動療法が主流になって以降、治癒とは欠損を何らかの手段で補填することでせいぜい元の機能を取り戻す、と言う純医学的発想となり、心理的成長によって心理的退行を乗り越えるという精神医学にのみあった考え方は背景にしりぞかされた。力動論を背景にもって、長年当然の公理のように扱われてきた〝成長〟概念に昔日の力が失われた、と思うのは私だけではないだろう(笠原、二〇一一年、頁二〇二)。

 

 しかし、二一世紀に入って、インターネットから発信された「厨二病」という言葉が瞬く間に一般社会に浸透したことを見ると、一般社会においては、「成長」(天理教の言葉を借りれば「心の成人」)概念を見直そうという兆しがあるように思われる。

 以上のように、現代日本の精神医療が薬物療法中心主義と認知行動療法中心主義に染まりがちなことに対する人々の不満が、「近現代日本における民間精神療法」を再考しようという社会的ニーズになっているのだと思う。なお、私は「人をたすけて我が身たすかる」という天理教の信仰指導を実践したら、長年苦しめられた不安障害(パニック障害)が快癒した、という信仰体験談を分析した論文を書いている。よろしければご笑覧されたい(熊田、二〇一一)。

 

<参考文献>

江口重幸『病いは物語である-文化精神医学という問い-』金剛出版、二〇一九年

笠原嘉『再び「青年期」について』みすず書房、二〇一一年

熊谷晋一郎「当事者研究とは何だろうか」松本・斉藤・井原(監修)『私はこうしてサバイバルした』日本評論社、二〇一七年

熊田一雄「不安障害の信仰治療について-天理教の事例から-」『愛知学院大学人間文化研究所紀要』二六号、二〇一一年

http://kiyou.lib.agu.ac.jp/pdf/kiyou_01F/01__41F/01__41_1.pdf

中井久夫『こんなとき私はどうしてきたか』医学書院、二〇〇七年

平井秀幸『刑務所処遇の社会学世織書房、二〇一五年