男性問題としての「ホーム」レス

 ソウルイン釜ヶ崎(編)「貧魂社会日本へー釜ヶ崎からの発信」(アットワーク社、2008年)を読了しました。好著です。私は、以前から「ホームレス」(正確にはもっと広く、「居場所」がない人たちという意味での広い「ホーム」レス)問題を男性問題として分析した論考がないことに不満をもっていましたが、この本の中で、フェミニスト・カウンセラーの北村年子さんおひとりが、ホームレス問題を男性問題として捉える視点を提示なさっていました。

 ここにも、「男らしさ」の病があると思います。ある意味、不完全な、こんなホームレスになった自分を見せられないという、男らしさの沽券に縛られていたりします(p135)。

 これは、始めて私が聞けた当事者自身が言語化してくれたいじめる側の心理でした。すごく大事なことだったのです。「なんでいじめるの?」と聞いたら、「今、生きているのがつらい」からだと、初めて怒りの言葉以外の、その奥底の根っこにある本当の心の声、感情の言葉が出たのです。
 実は、この「つらい」ということが言えないがために、男の子たちはみんな続々と死んでいっているのです。男性は、「俺、つらいねん」て素直に言えますか?女の子は、男の子よりは「お母さん、いじめられてつらいねん、恐いねん」「つらい」「恐い」「逃げたい」ということができるのです。だから家族にも黙って首を吊って死んでいくのは圧倒的に男性の方が多いのです(p144)。

 とても大切な視点だと思います。調査者が男性だと、「男同士の意地の張り合い」のために、なかなかこういう「男性のホンネ」は聞き出せません。