「手引き」と「ためし」

 手引きというのは、まあ言うてみるなら、何も知らない子供が、目先のことにとらわれて、知らず識らずの間に危うい道に陥るのを、こちらの安心な道に来いと、手を引いてくださるようなもの、ためしというのは、親から安心の道を教えられたら、その通り実践して行くことを言われていると思う。

 人間の身上の障り(病気ー熊田注)や事情(その他の苦難ー熊田注)には、この手引きとためしの二つの意味が含まれていると思われる。

 兵四郎の目の障りにしても、神の手引きとためしの二つの意味が含まれていた。神様のお話を聞いて、夢みたように眼が見えるようになったというのは、神の手引きである。それがわかったなら、その通り実践せよといわれるのである。それがためしなのである。

 人間の常識からいうと、日々おたすけ生活に邁進していたのである、なれども、その通る心の中に、わが家わが子を思う心がまじっている。その心をすっきり忘れて、どうでも人をたすけたい、たすかってもらいたいという心一つに取り直してもらいたい、と仰せられているものと拝察される(高野友治『草の中の聖たちー庶民信仰者列伝』天理教道友社、1980年、pp.328-329)。