こわがることはない、暗いのはお母さんだからね

おそらく、この時期(熊田註;急性統合失調症状態)における精神療法は、シュビィングの行ったように、治療者の身体性を、空無化した病者の身体の傍らにそっと並べることから始める必要があるだろう。その理由のすべてではないにしても、少なくともその一つは、治療者の身体性の、不安鎮静的な、ゆるぎない現存が、世界対自己の背理的対立性の、いずれにも属さない第三者として登場し、対立の絶対性をいかほどか和らげるからである。シュビィングは、「母親的なもの」を強調した。彼女の言う「母親的なもの」は無遠慮な接近を行なう母親ではむろんない。シュビィングの「母親的なもの」とは、むしろ、リルケの『マルテの手記』において、暗闇におびえる子どもに「こわがることはない、暗いのはお母さんだからね」と語りかける、毅然とした母親のそれであろう。統合失調症の否定性をおそれず接近することと同じく、治療者がおだやかにそして敏感に距離をとることも統合失調症者の不安をしずめ、治療者への警戒を少なくするものである(中井久夫統合失調症状態からの寛解過程」『統合失調症2』みすず書房、2010年、p40)。


*「暗いのはお母さんだからね」―「おだやかにそして敏感に距離をとる」というのも、参考になる表現です。