「ごみ箱にする」

 家族因については、誰かが彼(彼女)を愚痴の聞き役に選んでいる場合に注意したい。私はこれを「ごみ箱にする(される)」と呼んでいる。ある患者の表現をかりたのである。相互にしあっている場合もある。このような家族はわれわれがうっかり介入するには複雑すぎる。
「家族にもかかわらず患者は治るのだ」とは土居健郎の言である。一般に、人間はさまざまな事情「にもかかわらず」、何とかその日を送り迎えしているのであろう(中井久夫「難病論」『隣の病い』ちくま学芸文庫、2010年(初出1992年)、pp.80-81)。


*「ごみ箱にする」とは、卓抜な表現だと思います。