男性身体の構築過程について

 さっき私申しましたのは、あれは一端ですけど、女性のほうは思春期を通過する時ステレオタイプな女性の像を描きますね。男性はあれ描けないですね。描くものがない。せいぜい武器ですね。やっぱりあの時期に男性の身体というのはウォリアー、戦士として再編成されますよね。それは平和な時代であろうがなんだろうが、戦士に近づくんですね、身体が。あれはある種の男性にとってはもうそれだけでいいわけなんですけれども、ある種の男性にとっては大変な強制というか、引きずり込まれるという感じがしますね、私のような文弱の徒は非常に嫌だったですよね(中井久夫「『身体の多様性』をめぐる対話より」、『記憶・徴候・外傷』みすず書房、2004年、p.367)。


(前略)(熊田註;脳の中に身体地図についての)重要な配線があることは確かだが、その配線は、私たちが理解している以上に、幼少期の経験によって形づくられているのである。あなたは文化によって生み出された可塑性の産物だ。自分の身体をどう使用し、どう知覚するかも同じである(ブレイクスリー&ブレイクスリー『脳の中の身体地図ーボディ・マップのおかげで、たいていのことがうまくいくわけー』インターシフト、2009年(原著2007年)、p.197)。


*近代社会において、男性の<身体からの疎外>は幼少期から始まり、思春期において決定的になるのでしょう。