冷泉彰彦さんの「ハシズム」論

JMM [Japan Mail Media] No.674 Saturday Edition より転載
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    ■ 『from 911/USAレポート』第559回
    「維新の会の手本としては、オバマでも龍馬でもダメである理由」
    ■ 冷泉彰彦:作家(米国ニュージャージー州在住)


 大阪市の橋下市長が代表を務める「維新の会」は本格的に国政への進出を進めているようです。政策の方向性も少しずつ発表されるようになりました。例えば消費税論議においては「地方に徴税権を移管することも考慮」すべきであるとか「健保や年金の問題がある中で最初に減税ありきは不可能」という正面からの議論で名古屋の河村市長を説得するといった動きには、切れ味の良さを感じます。
 何よりも年金問題において、「一定の資産を築いた高齢者には年金は掛け捨てにしてもらう」という形で給付の制限というタブーに踏み込んだのは評価してもいいと思います。資産課税の可能性も含めて、大きな意味で「富の世代間でのバランス調整」をやろうというわけです。もっと言えば、「掛け捨て年金」で脅しをかけつつ、落とし所としては「最低でも積み立て方式」という方向性も、非常に興味深いアプローチと言えます。国民皆確定申告とか、首相公選なども真剣に考えるべきテーマでしょう。
 まだ輪郭だけですが、ここまでのステップを考えると、維新の会が志向している国政というのは、ヒトラー的な暴力性もなければ、リー・クワンユーや江沢民的な開発独裁(日本の場合は整然とした衰退のための独裁?)でもないようです。
 むしろ、政策だけを考えると過去の制度や組織が硬直化して現状に対応できなくなっているのを何とかしようとか、教育にフォーカスして人材力の衰退を食い止めようとか、あるいは減税を諦めることで財政規律を確立して将来への不安を軽減しようというのは、アメリカから見ていると、現在のオバマ政権が取っているスタンスに近いと言えます。
 とりわけ、格差の問題に関しては、資産家の高齢者から年金受給権を取り上げるとか、私学ではなく公立校の底上げを図る、あるいは根深い貧困の問題を抱えた西成の再生を打ち出すなど、ハッキリと格差是正の方向を打ち出しているわけです。西成に関して言えば、結核罹患率が異常に高いことを指摘して対策をスタートさせるなど、これでは過去の市政は何をやっていたんだという驚きもあるわけですが、本質の部分から取り組もうという姿勢も見えます。
 では、橋下市長のアプローチはオバマと同種のものなのでしょうか?
 そうではないと思います。それはオバマが「左出身」で、橋下市長は「右の出身」という違いであるとか、そういう問題ではありません。
 何と言っても、政治的な環境が異なるのです。オバマの場合は、まず「チェンジ」という理念的なものを掲げたわけです。ですが、その理念の具体的なブレイクダウンはそんなに飛躍は必要としないし、既成の制度や国家観の枠内の選択肢の中に入っていたわけです。
 つまりブッシュの「戦時の政治」や「一国主義」を終わらせつつ、ワシントンの既得権を見直し、ついでに健保改革で格差の是正をやるというのは、2007年の時点では一見すると大改革のように見えたわけですが、2012年の現在から見ればアメリカがアメリカでなくなるようなことは起きていないわけです。
 オバマの場合は、就任直後には2008年に発生した金融危機への対応もやらざるを得なかったわけです。これも当時は大変に危機的な状況ではあったものの、ブッシュ政権末期の方針をしっかり受け継いで、必要な手は打ったわけです。勿論、財政規律の問題は中長期的に残るのですが、とりあえず2012年の現在、この金融危機の痛手からアメリカが半永久的に衰退してゆくという悲観論はありません。
 ということは、理念的なものも実務的な課題も「アメリカという連続性」の枠内に入っているわけです。保守派は「エリート臭が鼻につく」とか「アメリカを社会主義化している」などとイチャモンを付けますが、金融危機時の金融機関や一部自動車メーカーへの公的資金投入も、テクニカルに不可避であっただけです。健保にしても、ヨーロッパやカナダ、日本などと比較してみれば、アメリカの未整備は問題であったわけで、これも実務的な改革の範囲でしょう。
 そんなわけでオバマ政権というのは、詰まるところは「中道実務型政権」なのです。仮に二期目に再選されたとしても、増税を含む財政規律に注力して、二期八年を完走する、その間に景気回復の腰を折らないようにするというテーマはほとんど決まっているわけです。軍事外交に関しては、対中国政策とか対イランの問題、あるいはシリアを中心とする中東政変への対応などがありますが、こちらも実務的に決定してゆくという範囲を大きく逸脱することはないでしょう。
 その一方で、日本の「維新の会」に期待されているのはそんなに簡単な話ではありません。冒頭に紹介した「徴税権を地方に移管し、交付金制度を撤廃する」とか「資産家の年金は掛け捨て+資産課税も」というのは、日本の社会も政治も、あるいは官僚制度も大きく変えようという大改革になると思います。
 ハッキリ言えるのは、「官僚組織・高齢者・富裕層・中央」の利害から「民間・現役世代・地方」の利害へと国家を大きくシフトさせようという方向性です。問題はそれだけではありません。先週この欄でお話ししたように、日本あるいは日本円・日本国債をめぐる国際経済の情勢は油断ができないのです。大気圏に突入する際の宇宙船は、非常に狭い角度の幅の中を進入しないと、無事生還はできません。角度が浅すぎては大気圏に入れずに跳ね飛ばされて永遠に宇宙をさまようことになります。逆に角度が深すぎれば大気との摩擦熱で燃え尽きてしまうのです。
 日本経済も同じです。公共セクターのリストラをしっかりやって財政規律を回復しなければ、国債の価格崩壊は時間の問題です。ですが、後ろ向きのリストラばかりで民間の活力も戻らないようですと、同じように困難な局面に立ち至ると思います。ですから、公共セクターのリストラをやって、更には高齢者や富裕層の富を吐き出させる一方で、現役世代が活性化し、民間の成長スピードも回復してゆくという両方を実現しないといけないわけです。
 先週も申し上げたように、日本経済は潰すには大きすぎるので「ガラガラポン」とか「堕ちるところまで堕ちよ」というのはテクニカルに不可能で、国際社会が許すはずもありません。その意味で言えば、「維新の会」の方針は間違っていないと思います。今日になって伝えられる所では、TPPの議論参加には前向きであり、日米同盟によるバランス・オブ・パワーの枠組みを維持するという外交政策も出てきているようです。経済合理性としてはこれも当然のことであり、国際社会が、特に国際金融やIMFなどが日本に期待している改革の方向性に重なってきていると思われます。
 そんなわけで、オバマとの比較論などというのは意味のないほどの、大変な改革をやってゆかねばならない、橋下市長の国政進出というのはそういう質の話だと思います。言い方を変えれば、「国のかたち」を変えるほどの大改革を実務としてやらねばならない、そういう話です。
 その意味で「維新の会」という命名は、ここへ来て真剣な意味を帯びてきたと言うべきでしょう。正に倒幕であり、新政府の立ち上げ、そのぐらいのインパクトのある話だと思います。ただ、心配なのは維新の会とその支持者が、提案されている改革のインパクトについて、本当に理解しているのかという点です。
 例えば、政策提言を「船中八策」などと命名して坂本龍馬を気取っているのは私は気に入りません。オリジナルの「船中八策」の内容は理念が中心で、民主主義や議会制、開国、自主防衛といった抽象的な話です。しかも、坂本龍馬というのは、そうした理念的な話をしながら、具体的な功績というのは薩長同盟の仲介と、大政奉還の提案というグループ間の調整が中心でした。
 私に言わせれば、「維新の会」は龍馬気取りではダメなのです。維新のドラマに登場する人物で言えば、木戸であり、大久保でなくてはなりません。もっと言えば、木戸よりもっと健康であり、大久保がもっと懐が深くなったような人物を目指すべきであり、更に言えばその第2世代が伊藤や山縣へといきなりスケールダウンするのではなく、改革第一世代よりもっと大きな人物を育てるような仕組みがなくてはならないのです。
 ちなみに、木戸にしても大久保にしても、また龍馬も一つの典型であるように、改革の起爆剤としては尊皇攘夷的なもの、つまり排外的で情緒的なものをスタート地点としつつも、実務的な改革の姿を描く中でどんどん開国と経済成長という方向性に変わっていった、その柔軟性と現実対応力こそ「維新」に学んでもらいたいものです。
 この点で言えば、プロレスの試合で練習もしないで君が代を歌うとか、市議会や府議会で登壇するたびに国旗にペコペコさせるなどという品のないパフォーマンスは止めるべきだと思います。何よりも、そうした行動様式というのは徒党を組んで敵と力競べをする段階でしか通用するものではなく、激しい改革を実務も含めてやり抜いたり、複雑な利害調整を乗り切ったり、自分たちよりスケールの大きな次世代を育成したりという「改革本番」には必要のないものだからです。
 ところで、中央官庁でも大臣が会見する際に国旗に一礼したりしていますが、あれもいつまでたっても不自然なままなので止めることはできないのでしょうか? 福島第一原発事故で厳しい局面が続いていた時に、当時の枝野幸男官房長官が会見のたびに国旗にお辞儀をしているのが、CNNでは何度も何度も放映されましたが、「国旗というモノ」に拝跪している姿というのは、どうしても人間を小さく見せるのです。制度に縛られ、儀式的な手続きに縛られており、自身には柔軟な決断を下す権限の与えられていない人物、海外からはどうしてもそんな印象に見えてしまいます。
 そもそも、勝海舟が日の丸を掲げて咸臨丸で太平洋を渡った時には、海外でも日本人が胸を張るために旗を掲げていったのだと思います。勿論、日の丸の発明は勝よりももっと以前に遡るわけですが、いずれにしても日本の日の丸というのは、「日出ずる国」という言い方にもあるように昇日の象徴であり見上げるもののはずです。それをペコペコするというのは、まるで沈んでいく日を追っているようで景気の悪い話とも言えます。
 維新を名乗るのであれば、そうした気概も復活させて欲しいのです。とにかく、日の丸や君が代を政治課題にするというのは、政敵との心理戦をハッタリ的に勝ち抜こうという手法に過ぎないわけで、もうここまで本質的な改革案を出してきたのであれば、以降の論争はもっと正々堂々としてゆかないと、どこかで失速するのではないかと思います。
 教育を巡る政策に関しても、どこかで過去の経緯からの「力比べ」を脱すべきです。「公立校の活性化と格差是正」「公立校への健全な能力主義の導入」という具体的な政策にフォーカスして確実にこれを実行するのが先で、教委などの既得権者とのケンカでズルズル時間が取られてはダメだと思うのです。
 具体的には教育委員の公選制というのが、今の時代の世論のバランス感覚を反映するにはいいと思います。首長は地域の短期的長期的な経済合理性で仕事をしますが、教育は貨幣価値で測れない部分も含めて違う観点から行政府と切磋琢磨するのがいいからです。その代わり、現役の保護者に教員の評価をさせるなどという不安定な制度は止めるべきです。保護者の判断にはその名の通り子供を保護しようという本能的なバイアスが強く、時にはバランスを失って迷走することもあるからです。
 いずれにしても、今回の橋下市長の国政進出計画は、オバマ改革などという「微修正」とは比較にならないほどの規模の大きな話です。また、現段階は坂本龍馬のような調整役の出番でもありません。また教委や「知識人」とのケンカで世論が引っ張れる段階ももう終わりです。
 この先は本当に真剣な話になるのです。(1)政権への影響力行使への具体的なステップ、そして(2)明らかに優秀な人材が集まり育つ仕組み、更には(3)リストラ効果だけでなく経済成長を実現する実効ある国レベルでの政策、この三点を早く策定してもらいたいと思います。