ロムニー候補とモルモン教の現在位置
JMM [Japan Mail Media] No.669 Saturday Edition(2012年1月7日号)より転載
ミット・ロムニー候補は穏健派と言われながらも、保守州のアイオワ党員集会を制したことで、共和党の大統領候補として有利なポジションに立ちました。来週火曜日(10日)のニューハンプシャー予備選についても、以前に知事であったマサチューセッツの隣(上?)であることから「地元の強み」を発揮して圧勝が予想されています。11月の本選でオバマに挑戦する可能性は相当に高いと言えます。
そのロムニー候補ですが、これから大統領選挙に向けて何らかの時点でアメリカ社会は一つの問いを発することになります。それは、モルモン教徒の合衆国大統領が登場することの可否についてです。1960年の選挙で史上初のカトリック、つまり非プロテスタントであるジョン・F・ケネディが勝利した際に、アメリカは賛否両論で大騒ぎになりました。以降は大統領職における「政教分離」が確立しているわけで、その点では歴史的には問題はないように見えます。
ですが、1000年の歴史のあるカトリックと比較するとモルモン教は180年ほどの歴史しかないわけで、どうしても新宗教というイメージが濃厚です。では、伝統宗教と新宗教に何か違いがあるのかというと、実は厳然たる問題が存在します。それは、その社会の「常識」として、「伝統宗教の信者とのコミュニケーション様式」は幅広く普及しているが、新宗教の信者との「コミュニケーションのあり方」は十分に普及していないのです。
新宗教ならではの特別な教義や戒律、献金ルールや積極的な布教活動が往々にして批判を浴びたり、個々の信者が周囲から敬遠されるということがありますが、そのことは突き詰めて行けば、その宗派の人たちとのコミュニケーション様式が十分に確立していないということです。ということは、合衆国大統領に就任するということになれば、米国民としてモルモン教徒の関わり方をしっかり考える必要が出てきます。そこで、どうしても「違和感がある」ということが一定のレベル以上あるようですと、選挙戦の上では相当に不利になるでしょう。
これは宗教の問題ですから微妙なニュアンスを持った話です。今のところは、そうした微妙さ故に、また政教分離の原則や、信教の自由という建国の国是に照らして、各メディアもこの問題を避けているところがあります。選挙戦でも、例えばギングリッチ候補が「モルモンはカルトだ」と発言したことが激しいバッシングを浴びたことがありましたが、それ以降はこうした批判は沈静化しています。ですが、もう一度しっかりと議論がされるチャンスがあるでしょうし、それはロムニー氏が堂々と現職のオバマ大統領に挑戦するとなれば、避けては通れない必要なプロセスと言えるでしょう。
宗教の問題ですから、このコラムを読んでいらっしゃる方にも色々な立場があると思います。モルモン教の信者の方もおられるでしょうし、家族や友人が入信したために以降の交際方法が分からず疎遠となった方、モルモンの教団から脱退した方など、結果的にこの宗教に悪感情を持っている方もあるかもしれません。また、この宗教についてほとんど事前知識のない方もあるでしょう。そこで本論に進む前に二点お断りをしておこうと思います。
まずモルモンという呼称ですが、これは正式ではありません。英語の正式名称は "Church of Jesus Christ of Latter-day Saints" であり、日本では「末日聖徒イエス・キリスト教会」と言われています。信者の方の中にはこの長い名称が正式であり、モルモンというのは俗称であり不愉快という方もあるようです。アメリカの場合は正式名称の短縮形としてLDSという言い方もありますが、一般的ではありません。ですが、アメリカの社会で「モルモン」とか「モルモン教」という言い方をする際には決して差別感やマイナスイメージは入っていないのも事実です。そこで、本稿ではモルモンという言い方を「通称」として使用することにします。
仮にロムニー氏に関する報道が日本でも活発になる中で、どうしても日本語の「モルモン」や「モルモン教」には侮蔑感や特殊視が残る(日本語というのはどうしても語彙にニュアンスが「こびりつく」傾向があるので)場合には、LDSという略称を普及させるという手もあるかもしれません。いずれにしても、教団の広報としては検討をするべきだと思います。「まつじつせいといえすきりすときょうかい」という呼称以外は認めないという偏狭な姿勢ではPR活動のスタンスとして十分ではないからです。
もう一つは私の宗教的立場です。私は内村鑑三の直系である無教会派クリスチャンの家庭に生まれ、その影響下に育ちました。ですから私のキリスト教理解は、穏健なルター派の思想から教会組織の有効性をマイナスしたものに近いと言えます。一方で、はるか昔に亡くなった父が世界教会協議会の仕事をしていたこともあり、カトリックや正教に関しても偏見はないと思います。ユダヤ教に関しても多くの知人・友人があり親近感があります。モルモンに関しては、こうした経緯から教義的には受容は難しいのですが、信者の友人知人は皆たいへんに信頼できる人々であり、そうした関係を通じて現在の宗教集団としては好印象を持っているというのが「立ち位置」です。
さて、前置きが長くなりましたが、本稿ではモルモンの教義や歴史について詳しく解説するスペースはありませんので、ロムニー候補の今後を考えつつ、アメリカ社会におけるモルモン教について考えるための基本的な論点を挙げておくことにします。
一点目は、モルモンというのは、アメリカの風土に深く根ざした宗教だということです。発祥の地はペンシルベニアとされ、その後イリノイなど中部に拠点を置いた時期を経て、現在はユタ州に本拠を構えています。連邦政府との対立のためという要素もありますが、アメリカの「フロンティア」が西へ進む中で、開拓民の宗教として動いていったということも言えるわけです。
教義の中でもアメリカが宗教上特殊な場所とされ、昇天したイエス・キリストがアメリカに「再臨」したなどという信仰が入っているのも、この土地に深く根ざした宗教という証拠でしょう。また、歴史的な経緯もあって「アメリカ原住民(ネイティブ・アメリカン)」の存在が重視されているということも重要な要素です。
二点目は、他の新宗教と比較しますと原理主義的ではないということです。例えば戒律について言えば、アルコールやタバコに加えてカフェイン飲料を禁じているとか、婚前交渉やポルノグラフィーへの禁忌を徹底しているということが知られています。そうすると、かなり戒律の厳しい、つまり敷居の高い宗派という印象になるのですが、他の問題に関してはかなりフレキシブルだとも言えます。
例えば、同じアメリカ発のキリスト教系新宗教である "Jehovah's Witnesses"(「エホバの証人」)の場合は、輸血を禁忌としているだけでなく、あらゆる国旗や国歌への忠誠、元来はケルトの信仰に由来するハロウィンや、同じく異教徒の冬至祭に由来するクリスマスなどを否定するなどの徹底的な姿勢があります。また絶対的な反戦思想から兵役を忌避していることも有名です。実はこのために、ブッシュ大統領の「反テロ戦争」の時代には「エホバの証人」はアメリカ国内で迫害を受けていたことは(余り知られていませんが)注目に値すると思います。
ですが、モルモンの場合はクリスマスもハロウィンも普通に祝いますし、国旗や国歌への忠誠や兵役などということについては、標準的なアメリカ人よりもっと「愛国的」だと言えるでしょう。この点で言えば、モルモン教の歴史の中では「アメリカ合衆国」と交戦状態に陥るなど抵抗の歴史もあるわけですが、長い歴史の中で例えば「一夫多妻制」を途中から厳格に廃止するなど、ある種のフレキシブルな姿勢を見せて現在の形になっているわけで、世界の新宗教の中では原理主義的な側面が薄いと言ってもいいと思います。
三つ目は、現在のモルモンという宗教の性格についてです。アルコールや婚前の性交渉を禁じるという宗教的な姿勢は決して形式的なものではなく、こうした教義の延長としてこの宗教は大きな二つの特徴を持つに至ったと言えます。それは「ストイックに努力することで人生の成功を勝ち取る自己啓発宗教」という意味合いと「夫婦の安定的な関係を軸とした核家族イデオロギーの宗教」という二点です。
こうした現在のモルモン教を理解する上で間接的に参考になるのが、世界的なベストセラー小説で映画化も大成功している『トワイライト』シリーズだという意見があります。例えば、キャシー・リン・グロスマンという人が2010年7月7日に「USAトゥディ」紙に寄稿したエッセイ『「トワイライト」はモルモン思想を注入された超自然的ラブストーリー』などがそうで、興味深い見方ですので少しご紹介することにします。
バンパイア(人間の血を吸わない「ベジタリアン」)と人間の少女の純愛物語がどうしてモルモン教のカルチャー理解に役立つのかというと、作者のステファニー・メイヤー女史がモルモンの家庭に育ち、ユタ州のプリガム・ヤング大学というモルモン教団によって設立された大学を卒業した純粋なモルモン教徒だからです。
勿論、モルモン教の教義とバンパイヤ思想との間に何か関連があるわけで全くありません。この実に良くできたエンターテイメントが強く持っている、婚前の純潔の重視、一対一の男女関係から婚姻や妊娠出産そして子育てに至る過程の神聖視、飲食物の禁忌などの問題がモルモンの基本的な価値観に合致するということが一つあります。
また、主人公の少女が冷静で大人しい努力家に描かれていること、アリゾナ州から西海岸のモルモン教徒の多い地区を舞台にしていること、そして狼をトーテムとするネイティブ・アメリカンに精神的な一体感を持っていることなど、この「トワイライトの世界」に出てくるアイテムの一つ一つがモルモンのカルチャーに重なってくるのです。男性の主人公が医者の一家でボルボの高級車を乗り回しているのも、そうした経済的な成功を目指すことに一点の曇りもないあたりがモルモン的です。
もしかしたらバンパイヤを無条件で愛してくれる人間の少女の生命力に、(モルモン教徒の方には失礼な解説かもしれませんが)モルモンのコミュニティーの若者が非モルモンの友人たちとの間に感じている「壁」とか「寂しい距離感」のようなものを越える何かを、メイヤー女史は託しているのかもしれません。それ以前に、福音派やエホバの証人であれば抵抗感を持つであろう、異教的なバンパイヤの物語をアッケラカンと作って楽しんでしまう柔軟性がモルモン的だとも言えるでしょう。
さて、そんなわけでアメリカの全国的に見れば、特に宗教的な寛容性の高い東海岸や信徒の多い西部ではモルモン教徒の人々への抵抗感は薄いのです。ですが、全国的には決してそうではないという調査結果もあります。例えば、「ウォール・ストリート・ジャーナル」(電子版)が紹介していたクゥイニパック大学世論調査研究所のピーター・ブラウン副所長によるレポート(2011年)では、合衆国大統領が「その宗教でもOKか?」という世論調査結果を紹介しています。その中で、カトリックが83%OK、ユダヤ教が80%である一方で、モルモン教徒でもOKだという人は60%しかないのです。ちなみに無神論者の場合は37%、イスラムは38%でした。
このブラウン氏の調査によれば、全米の17%は「モルモン教徒では絶対にイヤ」だと答えており、「絶対にイヤ、とかなりイヤ」を足すと黒人(54%)や女性(40%)で顕著だというのです。黒人に抵抗感が強いのはモルモンが白人至上の宗教というイメージがあるからですし、女性に抵抗が強いのは「良妻賢母的な古い価値観の宗教」という先入観があるからだと思いますが、いずれにしても、ロムニー候補にとっては決して楽観できる数字ではありません。
特に今回のアイオワ党員集会で、相当の宗教保守票がリック・サントラム候補に流れていますが、宗教保守票、特に福音派の「草の根保守」はモルモンとは相性が悪いのです。福音派というのは、グローバリズムの中で「負け犬になった」人への精神的な救済という面があるのですが、そうした観点からするとモルモンというのは「成功者の宗教」というイメージになるわけです。例えば、中西部の福音派教会に行くと「パートナーが刑務所に入っている時の精神的救済セミナー」などというのが良くあるわけですが、そうしたカルチャーと比較すると、モルモンというのは全くの別世界です。
不倫や同性愛への禁忌ということでは、福音派もモルモンも同じですが、福音派のカルチャーの中には「結婚生活というのは山あり谷あり」であり、「婚姻という脆弱な契約」を守ってくれるように神様に頼りたい、だからこそ神様のルールに背く同性間の結婚なんか許せないというようなメンタリティーがあるわけです。依存する先の権威にいささかなりとも反抗するのは敵という心理です。
そうした「人間臭い」福音派のグループからすると、ロムニー夫妻のように高校生の時からのカップルで、60過ぎても「ラブラブ」だというのは気味が悪いということになりそうです。しかも、福音派の「魂」というべき中絶禁止と進化論排斥という点では、モルモンはアメリカの平均に近いぐらいに常識的ですから益々相容れないというわけです。
今回のアイオワ党員集会でのロムニー候補の得票率25%、僅差の1位というのは、こうした背景を考えると善戦と言って良いのです。次のニューハンプシャーは心配ないですし、南部へ行ってサウス・カロライナではどうなるか分かりませんが、その先になるとネバダ、アリゾナ、コロラドなど西部のモルモン教信者の人口の多い州が続くのでこの辺まででライバル(具体的にはギングリッチ候補)を蹴落とすことは可能です。
さて、そうなった場合に8月末の党大会までに宗教保守派をどうまとめるか、私は今回のアイオワ党員集会でタイに並んだ宗教保守派のリック・サントラム氏を副大統領候補にするなどの策が必要と思います。更に言えば、11月の本選に臨むには、これまで避けていた自分の宗教的な背景など「素顔」をしっかりとアメリカの世論に見せて説明することが必要でしょう。ちなみに、福音派が気にしている社会価値観以外の問題については、内政にしても、軍事外交にしてもモルモンという信仰が政策に対して何らかの影響を与えることはないと思います。