身の差し入れ

 精神対話士の一人は、対話の効用は「身の差し入れ」という言葉で表現しています。大切な人を慰問したいと思ったとき、昔の人は食べ物や飲み物を直接届けました。精神対話も、それと同じです。自分の身を差し出し直接会って、一緒に問題を考える。そうすることで、相手の孤独感を解消し、八方塞がりな状況を打破できることも多くあります(財団法人メンタルケア協会(編)『人の話を「聴く」技術』宝島社、2008年、p61)。
 ある精神対話士は、私たちの対話を「身の差し入れ」と表現します。指導したり教えたりするカウンセリングではなく、一人の人間が別の一人の人間に会いに行くという、その行為そのものに重きを置く心の触れ合い、心と心が触れ合って、話し手の気持ちが楽になれば、それで良しと考えるべきです。人の悩みや心の問題は、そんなに簡単に解決しませんし、他人が代わりに解決してあげることもできません。
 重要なのは、実際に会って、じっくりと話を聴き、簡単にわかったつもりにならず、相手の気持ちを本当に理解することなのです。それで相手が変わることもあるのです(同上、p149)。
 世界一有名な看護婦、フローレンス・ナイチンゲールは、病やケガで苦しむ患者が夜に孤独感を募らすことがないよう、病床の夜回りを欠かさず、「ランプの貴婦人」と呼ばれたそうです。「たった一人でもいいから、なんでも自分の思っていることを率直に話せる相手がいてくれたら、どんなにありがたいことだろう」という言葉を彼女は残しています。
 寄り添ってくれる人が一人いれば、孤独ではありませんし、絶望もしません。希望があれば、命の火は燃え続けます。対話するときは、どうかナイチンゲールの言葉を思い出して、大切な人の心を照らすランプのような存在になってあげてください(同上、p189)。


*宗教者の「聴きだすけ」とは、「身の差し入れ」のことでもあるのでしょう。