人たすけたらわがみたすかるー森田療法と日本の新宗教ー

 私は、自律神経失調症の中の不安神経症という病気になりました。二十四時間、全身のしびれやひどい頭痛に悩まされ、一時は命を絶つことすら考えました。しかし、わが子のことを思うと踏み切れず、生きること自体がつらい毎日でした。
 そんなとき、天理教のパンフレットが自宅のポストに入っていました。そこには、「人たすけたらわがみたすかる」という言葉が書いてあったのです。たすかるかもしれないと、すがる思いで記載の教会に電話をかけました。
 以後、教会の方々が毎日のように訪ねてきてくださいました。まだ心の病に対する世間の理解の乏しいころでしたが、皆さんは親身に話を聴いてくださいました。私はそのうち自分から教会へ足を運ぶようになりました。
 それから二、三年経ったころ、家族関係に悩む姪から相談を受けました。姪は、初めて参拝した教会で勧められて、修養科(熊田註;天理教の修行コース)に入ってくれました。
 教会の御用をつとめる傍ら、姪の子育てを見守り、手伝ううちに、あるとき、自分の病気がよくなっていることに気が付いたのです。まさに「人たすけたらわがみたすかる」です。
 もしあのとき、パンフレットがポストに入っていなかったら、どうなっていたか想像もつきません。私は三日講習会(熊田註;天理教の初級コース)を受講し、いまでは自らの体験を路傍講演で語れるまでになりました。
 人はどこでどんな人と巡り会うか分かりません。今度は私がパンフレットをポスティングし、感謝と恩を忘れずに歩んでいきたいと思います(天理教機関誌『みちのとも』より)。


*この天理教信者の場合、信仰生活が森田療法の代わりになったのでしょう。「不安と恐怖」と疼痛という「症状」に「精神交互作用」(注意するほど感覚が鋭敏になるという精神過程)によって「とらわれ」、それを「はからう」ことを試みては「気分本位」の生活から脱することができず「疼痛性障害」の症状に苦しんでいたのでしょう。それが、教会の人に親身に話を聴いて貰うことによって転機を迎えます。精神科医中井久夫さんは、名著『治療文化論』(岩波書店、2001年)において、心を病んだ人の予後を決定する最大の要因は、「なんでも話せる人がそばにいるかどうか」だと指摘しています。この人の場合、教会の人が「なんでも話せる人」の役目を果たしたのでしょう。規則正しい生活リズムの中で教会の御用をすることが「作業療法」の代わりになり、症状を悪化させる「安全行動」や「回避行動」をやめることになったのでしょう。そして、「人たすけたらわがみたすかる」という教えに基づいて、姪の子育てを手助けすることによって、「気分本位」の生活を脱して「目的本位」の生活を送ることができるようになり、「不安や恐怖」を「あるがまま」に受け止められるようになり、不安神経症が「治癒」したのでしょう。
 森田療法の専門医など近くにはいなかったのであろうこの信者さんが、病の中において直感で一縷の望みを託した天理教の教えが「人たすけたらわがみたすかる」であったことは、重要だと思います。「人たすけたらわがみたすかる」とは、天理教に限らず、日本の新宗教、その中でもいわゆる教団組織を作るタイプの新宗教で広く説かれている教えです。従来、森田療法と宗教の関係としては、宇佐晋一と木下勇作が『あるがままの世界ー仏教と森田療法ー』(東方出版、1987年)や『続あるがままの世界ー宗教と森田療法の接点ー』(東方出版、1995年)で指摘しているように、仏教、特に禅宗の伝統との類似性が強調される傾向にありました。
 

 いわゆる「神経症」の治療法として発展してきた森田療法は、不安や恐怖への対処法を示すことで、心のストレスに対する問題を解決してきました。森田療法の根底には、不自然な生き方の変換を促そうとする考えがあります。「生き方」の処方箋としてさまざまな悩みを解決できる可能性があります(北西憲二(監修)『森田療法のすべてがわかる本』講談社、2007年;pp.18-19)


 このように森田療法が適用範囲を広げていく中で、森田療法を施せる専門医の数の少なさ(2009年時点で、全国でもわずか42ヶ所の医療機関でしか行われていません)を考えると、禅宗だけではなく、今後上記の体験談のように森田療法新宗教の信仰生活に吸収されていくことが予想されます。森田療法を考案した森田正馬(1874-1938)自身は、新宗教を「迷信と妄想」として非難していたことを考えると、皮肉な話です(森田正馬森田正馬全集』第6巻、白楊社、1975年)。
 現代日本に広がってiいる「各自が個性に即した自己実現を追求する」個人主義的な生活スタイルは、群居性動物である人間にとっては「不自然な生き方」なのであり、新宗教教団が説くような「人たすけたらわがみたすかる」という教えは、人間を本来あるべき姿に戻そうという教えなのかもしれません。
 人によっては、抗うつ薬SSRI選択的セロトニン再取り込み阻害薬)の投与を中心とした現代日本精神科医療における薬物療法よりも、こうした「人たすけたらわがみたすかる」という宗教教団の信仰指導の方がより効果があるかもしれません。逆に言えば、「各自が個性に即した自己実現を追求する」個人主義的な生活スタイルが普及した現代日本の「無縁社会」は、「(森田正馬が言う意味での)神経症に誰もがなりやすい時代」にあるのかもしれません。


*疼痛性障害
・1つまたはそれ以上の解剖学的部位における疼痛が臨床像の中で中心を占めており、臨床的関与が妥当なほど重篤である。
心理的要因が、疼痛の発症、重症度、悪化または持続に重要な役割を果たしていると判断される(伊藤雅臣『不安の病』星和書店、2009年、p.145)。
*回避行動
・不安のために避けている行動
*安全行動
・恐れている状況に入るときには、いつも安全策をとるという行動(同上、p.30)