女は関係を求め、男は所有を求める?

 上野千鶴子さんは、ベストセラー『女ぎらいーニッポンのミソジニーー』(紀伊国屋書店、2010年)の中で、「女は関係を求め、男は所有を求める」というこの表現を、


(前略)「愛」という名で語られる男女関係の根底的なジェンダー非対称性を、これほど簡潔で卓抜な表現で言い表した
文章を他に知らない(p.107)。


と絶賛なさっています。「それはもう一昔前の話でしょう。上野さんにも困ったもんだ。」というのが私の正直な感想です。
 この議論に対する反例を示すために、日本の1980年代を代表するロック・バンドのひとつであるREBECCAの名曲「フレンズ」(1985年)の歌詞を引用します。ドラマの主題歌などによくカバーされているので、殆どの人が耳にしたことがあるはずです。
 この曲で、「君」と呼ばれている「フレンド」が歌手NOKKO(女性)と同性か異性かは明示されていませんが、私は同性(女性)だと思います。いずれにせよ、この曲の魅力は「私」や「君」という「キャラクター」にあるのではなく、「私」と「君」とのつながりのあり方、「関係の対等性」にあるのだと思います。
 自称・乙女派文筆家の嶽本野ばらの表現を借りれば、ファンはこの曲に「キャラ萌え」しているのではなく、「私」と「君」との関係の対等性に「位相萌え」しているのです。この曲が男性ファンの間でも大ヒットしたことから、少なくとも心の底では「所有」ではなく「関係」を求めていた男性が、1980年代にはすでに大勢いたことがわかります。拙著「男らしさという病?」(風媒社、2005年)の第3章「ヤオイ女性と百合男性が出会うときー親密性は変容するかー」は、こうした「関係を求める」男性たちが、2000年代には層として社会の表面に登場してきたことを論じています。