生存者罪悪感と宗教

フリー百科事典「サバイバーズ・ギルト」より転載 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%90%E3%82%A4%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%83%88
サバイバーズ・ギルト(Survivor's guilt)は、戦争や災害、事故、事件、虐待などに遭いながら奇跡の生還を遂げた人が周りの人々が亡くなったのに自分が助かったことに対して、しばしば感じる罪悪感のこと。「サバイバー」(survivor)は「生き残り・生存者・遺族」を、「ギルト」(guilt)は「罪悪感」を意味する英語。

ナチスによるホロコーストを生き延びた人々などに見られたケースが有名である。日本においては、2005年4月25日に発生した兵庫県尼崎市のJR福知山線事故において、生存者の間にこの種の感情が見られると報道されたこともあって認知度が高まった。また、広島や長崎の原爆投下で生き残った高齢者が当時を回想するとき「あの状況で見殺しにするしかなかった」「助けられた命を見捨てた」など証言する場合も、このサバイバーズ・ギルトに当たる部分がある。 心的外傷後ストレス障害(PTSD)をおこして心理的な援助を必要とする場合もある。


*明治期における天理教金光教のような初期新宗教の爆発的な教勢拡大の背景には、天保の大飢饉に対する「生存者罪悪感」があったのでしょう。さらには、第二次世界大戦後の「奇跡の経済復興」や新宗教の教勢拡大の背景にも、「生存者罪悪感」が関係していたのでしょう。「生存者罪悪感」と宗教の関わりは、おそらく人々が思っている以上に大きいはずです。

ー「なにも願わない手を合わせる」(藤原新也