「片側人間」再考(2)ーR・ニーダムへの反論

ー(前略)だからわれわれは有機体の構造の中に、超自然的恩恵のゆたかな運行を右側に向かわせるような分離線といったものを探求しなければならない。
 このように解剖学に頼ることを、矛盾や逃げ腰と受けとるべきではない。ある力の本性や起源を説明することと、それが適用される点を決めることとは別個のものである。右手の持つわずかな生理的優越は、質的な差異の一面に過ぎない。この差異の原因は集団意識の構成において個人に外在している。ほとんどとるにたらない身体上の非対称は、すでに完全に形成されている二つの対立する表象を種々の意味で方向づけるに充分である。さらに有機体の柔軟性のために社会的拘束は対立する両手にこれらの強さと弱さ、巧みさと不器用さー成人では本性に由来するように見えるーを付加し、組み入れる(R・エルツ1980(原著1909);pp.166-167)


 R・ニーダムは、今日の脳科学で言う「半側空間無視」の症状によって彼の言う「片側人間」という集合表象(集団表象)の普遍性を説明することを、次のような理由で否定していた。
 

 この精神病理学上の事実は、神話の片側人間と著しい対応をなすが、しかし病因学的関係を確立するわけではない。そうした解釈へのひとつの障害は、身体イメージの毀損には多くの形態があり、それに従って身体のいろいろな部分が欠けているとか不完全であると感じられるのだが、それらは神話や象徴において一つの集合として反復されていないのである(R・ニーダム1982(原著1980);p51)

 R・ニーダムは、R・エルツの言う「ある力の本性や起源を決めること」と「それが適応される点を決めること」を混同してしまっている。今日の脳科学で言う「半側空間無視」の症状によって「片側人間」という集合表象を説明することは、「ある力の本性や起源を決めること」であって、「それが適応される点を決めること」ではない。「半側空間無視」の症状を「精神病理学」(psychopathology)に分類していることからしても、おそらくR・ニーダムは、「半側空間無視」が「脳卒中」という有史以前から人間社会に普遍的に見られる病気(器質的疾患)の後遺症の一種であるという「解剖学」的な事実を知らなかったのであろう。


<参考文献>
R・エルツ『右手の優越ー宗教的両極性の研究』垣内出版、1980年(原著1909年)
小松和彦『異界を覗く』洋泉社、1998年
ニーダム,R.「片側人間」長島信弘訳『現代思想』10-8、1982年(原著1980年);pp.42-53
ブレイクスリー&ブレイクスリー『脳の中の身体地図ーボディ・マップのおかげでたいていのことがうまくいくわけ』インターシフト、2009年(原著2007年)