サリンジャーによる児童虐待

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サリンジャーの分身ともいうべき16歳のホールデン・コールフィールドが大人たちや世間に反撥し、上品とは言いかねる偽悪的な口調で不満をぶちまける独白形式で書かれた『ライ麦畑でつかまえて』で一躍、人気作家になったサリンジャー。それにも拘わらず、いくつかの作品を出版しただけで、草深い田舎に隠棲してしまったのは、なぜか。その後、二度と作品を発表することなく、沈黙を守り通し、死に至るまでその動静が一切伝わってこなかったのは、なぜか。


その解答が、『我が父サリンジャー』で明らかにされたわけだが、実の娘によるものだけに、臨場感がある。


著者によれば、反ユダヤ主義運動盛んなりし20世紀前半、ユダヤ人の父とアイルランド人の母の間に生まれ育ったサリンジャーは、半ユダヤ人だからアメリカ社会の本流に乗れず、一方、半ユダヤ人ゆえに結束の固いユダヤ社会にも入れず、明確な帰属意識を持てないまま成人したというのだ。彼は「WASPアングロサクソン系白人新教徒)の『社交界』に、カントリー・クラブに、アイヴィー・リーグの名門校に、社交界の娘たちやその同類に向けた激しい怒り」を抱いていた。その上、徴兵された陸軍で戦場の凄惨さを嫌というほど目撃したため、PTSD心的外傷後ストレス障害)に悩まされることになったというのだ。除隊し帰還後、依然として癒えない心の傷を抱えたサリンジャーは、神秘主義的なさまざまなカルトに救いを求める。


カルトの教えに厳格に忠実であろうと自らが努めるだけでなく、複数の妻(何度も結婚している)や子供たちにも強制したことで、彼らに悲劇が生じてしまったというのが、著者の見解である。「ピエール・アベラールサリンジャーを擬している)は最後の誓いを間近に控えた若くけがれなき乙女(著者の母)を連れて緑豊かな修道院を去り、門を出たとたんに彼女が粘液と老廃物と排泄物の袋に変容したことを知る」と、著者が父に向ける眼差しは厳しい。


長きに亘る隠遁生活と作家としての沈黙には、こういう背景があったのである。作中人物のホールデンが、ライ麦畑の危ない崖の縁に立っていて、落ちそうになる自分をつかまえてくれる人(キャッチャー)を探しているように、自分がどんどん落ちる前にすがりつけるものを持っている人を求めているように、サリンジャーはカルトにすがりついたのだ。


サリンジャーの娘を、「戦災アダルトチルドレン」と呼ぶことも可能でしょう。


「戦争とアダルトチルドレン
http://d.hatena.ne.jp/kkumata/20111126/p1