信仰治療と家族療法

 患者が良くなることを喜ばない家族、あるいは本人が喜ばない場合は家族に事情があることが多い。そういう家族で医者が間に入ることでよくなる場合がある。医師の機能の中には病気を治す他に人間関係を良くするということがある。安心して治れる条件がないと治りが悪い。治ったら嫌なことが待っている場合も治りが悪い。こういう場合、医者が間に入って患者に、たとえば「休息の権利」を周囲に向かって保証する。これで患者が助かる。こういう機能である。疾病利得と正面から戦って勝ち目はない。別の症状に変るだけだ。「患者が意識していない疾病利得を認知し、さりげなく反応を見つつ治療的会話を重ねて、疾病利得を現実的に可能なもの、現実原則に従ったものに変形すること」、その上で本人の反応を見て「こうこうするよ」と言っておいてからその実現を周囲にむかって説得するというのが治癒へのほとんど唯一の道である。「疾病利得」というと嫌悪感をもよおす人がいるが、実際には自分が病気でなくなると両親が別れてしまう心配があるという場合がいちばん多い。「だからうっかり治れない」という(中井久夫「医師・患者関係における陥穽」『世に棲む患者』ちくま学芸文庫、2011年(初出1984年)、p283)。


*宗教家による病気治しにも、「(家族の)人間関係を良くする」という機能が果たされている場合があるのでしょう。特に、新宗教教団で、子どもの病気について相談された宗教家が、「(親の)夫婦円満」をしばしば説くことには、それなりの合理性があるのでしょう。