「故意に自分の健康を害する」若者たち
「故意に自分の健康を害する」症候群とは、精神科医の松本俊彦さんが英語の“Deliberate self-harm syndrome”に対してあてた訳語です(松本俊彦『自傷行為の理解と援助』日本評論社、2009年←好著です)。「故意に自分の健康を害する」若者たちが現代日本において急増してきたー松本さんは、現代日本の中・高校生の約1割と推定していますー理由のひとつは、松本さんは指摘していないことですが、<身体観の脱神話化>が進行していることにあると思います。天理教の「かしもの・かりものの理」のような神話的身体観を堅固にもっていれば、こうした症候群には陥らないはずです。
しかし、民衆宗教の宗教者たちの喫煙率の高さを見ても、そうした神話的身体観は現在の教団内で十分にリサイクルされていないのかもしれません。私が昔調査した新新宗教「エルランティの光」は、全面禁煙で、喫煙者は、「体に悪いと分かっているものを吸う、その自分の『心を見よ』!」と厳しく叱正されていました。どこかに「自分を呪う心」があるのではないか、というわけです。そういえば、白光真宏会の幹部も、存命中の教祖に、「愚か者が鼻から煙を吹き出してきたぞ。」と注意されてタバコを止めたと言っていました。いろいろな新宗教教団のタバコに対するスタンスを比較検討してみるのも面白いかもしれません。ちなみに、私はタバコを「卒業」して1年経ちました。
若者たちはなぜ自傷行為をするのかー
自傷行為とは、「身体の痛み」で「心の痛み」にフタをすること。
彼らが切っているのは皮膚だけではない。
生き延びるために、つらい感情を意識から切り離しているのだ・・・・・・(同上、帯より)
中高年の男性たちが、日々の生活から生じる「心の痛み」を誰にも相談せず、アルコールで蓋をしてどうにかこうにかその日を生き延びる。しかし、そんな一時しのぎをしたところで、「心」に痛みをもたらす根本的な原因はなにも変わっていない。それどころか、問題はますます巨大で複雑になり、気がつくとアルコールに溺れている自分がいるが、もうどうにも引き返せないー。
このように、生き延びるためのアルコールが、皮肉にも死をたぐり寄せる可能性があります。あるいは、最近10年あまりの中高年男性の自殺の背景にも、うつ病だけではなく、こうしたアルコールの問題が潜んでいるのかもしれません。
いずれにしても、アルコール依存症であれ自傷であれ、その瞬間を生き延びるためのアディクションとは、結局のところ「死」への迂回路にすぎない場合が少なくないように思います(同上、p.95)。