自傷、ピアス、信じられる心

人間文化研究所「所報」四五号(2019年9月刊行)

 

<題名>

自傷、ピアス、信じられる心」

<著者>

熊田一雄(宗教文化学科准教授)

 

―人を疑えない馬鹿じゃない

 信じられる心があるだけ

 あなたのとなりで眠りたい

 また目覚めた朝に

   あなたと同じ夢を見てますように

(米津玄師「かいじゅうのマーチ」アルバム『Bootleg』所収、二〇一七年)

 

 精神科医の小林桜児は、アルコール依存症を初めとして、各種の依存症患者の根本には「信頼障害」の病理があるのではないか、と指摘している。

 

イノベーション(技術革新)という名のもと、これからも便利で、それゆえアディクションの対象となりうる「物」は次々と開発されるだろう。私たちはもはや地縁・血縁社会に逆戻りすることはできない。しかし、私たちが物に頼っていい部分と人に頼るべき部分との分岐点を見極め、便利さと不便さの均衡が取れ、自分と他者の心理的孤立に気づくことができる新しい社会のあり方を目指すことは、不可能ではないはずである(小林二〇一六、頁二一五)。

 

 依存症患者は、「自己治療」を試みて深みにはまった人たちであり(アディクションの自己治療仮説)、さらにその背後には、他人を信じられないという「信頼障害」があるのではないか、という仮説である(自己治療仮説)。薬物依存症患者がよく用いる表現を使えば、「人は裏切るが薬は裏切らない」。これは、精神医学的にはあくまでまだ「仮説」の段階にある議論だが、アディクション問題を(宗教)社会学的に論じていく上では、便利な仮説である。

 近年、日本の若者の間で目立ってきた自傷問題について、精神科医の松本俊彦は、一貫して、リストカットに代表される自傷は、「体の痛みで心の痛みに蓋をする」ことによって、「生き延びる」ための行為である。他人に頼らずに自分一人で心の痛みに対応しようとしている点では、自傷している人は「強い」という見方もできるが、「しなやかさ」が欠けている、と論じ続けている。

 授業中に書かせている小レポートを読むと、私が教えている学生たちのなかにも、日頃から自傷している人もいる。しかし、自傷には「キモい」とかネガティヴなイメージがあるので、現在の学生たちは、自傷よりももっと洗練された方法で「心の痛み」を他人に頼ることなく一人で処理している。それは、「ピアスをあけること」である。

 小レポートによると、身近に「嫌なことがあるとピアスをあけている友人がいる」というのはよくある話だし、「最初はフアッションでピアスをあけたのだけれども、ピアスの鈍い痛みで心の痛みを麻痺させる気持ちはよくわかる」というレポートもあった。ピアスをあけている若者はみんなそうだ、などと強弁するつもりは、もちろんない。しかし、ピアスをあけている若者のなかには、「自傷代わりにピアスをあけている」人も混じっているのだろう。

 「自傷代わりにピアスをあけている」若者は、「自分の体は自分のもの」だと考えているし、自傷と違って、「残った傷跡によって、就職活動等で不利益を被る」こともないし、もちろん「誰にも迷惑をかけていない」。その意味では、問題のない賢明な方法という見方もできるだろう。しかし、私はこういう若者にやはり「痛々しさ」を感じるのである。事実、「ピアスの穴が消えないので、あとで後悔していた」というレポートも読んだことがある。

 話は変わるが、二〇一八年に最も人気がブレイクした日本のミュージシャンは、米津玄師だろう。この小論のレポートに引用した米津玄師のアルバム「Bootleg」は、二〇一八年度のレコード大賞において、最優秀アルバム賞を受賞した。歌詞を引用した「かいじゅうのマーチ」も、このアルバムに収録されている楽曲である。

 この曲では、「信じられる心」というフレーズが私の耳に残る。「人は裏切るが、薬は裏切らない」と言っているような依存症患者にとっても、印象的な日本語ではないだろうか。とうとう、人を「信じられる心」は、「喜ばしい、貴重なもの」として立ち現れたのである。人を「信じられる心」をもち、自分の心の痛みを、大切な人に打ち明ける力をもてば、もう自傷する必要も、「ピアスの鈍い痛み」も必要なくなる。

 近代日本文学の古典である太宰治の小説『人間失格』は、性的虐待を受けて育った男性が、長じて人を「信じられない」人間になり、日々の心の痛みを酒と薬でやりすごすうちに、若年性依存症になった、という物語である。被虐児が長じて若年性依存症になる、というのは、精神医学的には、よくある話である。この小説『人間失格』のキモは、主人公の「神に問う、信頼は罪なりや?」という叫びではないだろうか。

 ちなみに、米津玄師自身も耳にピアスをあけている。米津は、ピアスの鈍い痛みによって心の痛みに蓋をするという方法も知っており、それゆえにこそ、「信じられる心」の大切さを歌い上げているのではないだろうか。

 

<参考文献>

小林桜児『人を信じられない病―信頼障害としてのアディクションー』日本評論社、二〇一六年

米津玄師『Bootleg』、SMR、二〇一七年