「民衆宗教」と自傷

 私は、かつて薬物依存専門病院に勤務していたという事情から、中学・高校の生徒を対象として薬物乱用防止講演を依頼されることが多い。あるとき講演の終了時に生徒たちに講演に関するアンケートを実施し、そのついでに自傷に関する調査をしてみた。その結果、一般の女子中学生の9%、女子高校生の14%に、少なくとも1回以上自分の身体を刃物で切った経験があることが分かった。さらにこうした自傷経験者は、飲酒や喫煙を早くに経験し、自尊心が低く、過度のダイエットや過食をくりかえしている者が多いことも分かった。ショックだったのは、自傷経験者の多くが、私が講演の中で強調した、「ダメ、ゼッタイ」「自分を大切に」というメッセージに対し、「人に迷惑をかけなければ、薬物でどうなろうとその人の勝手」という虚無的な感想を抱いたことである。その時私は、彼女たちこそが薬物利用ハイリスク群であると直感し、彼女たちに届く言葉で語る必要があったのだと大いに悔やんだ(松本俊彦『アディクションとしての自傷ー「故意に自分の健康を害する」行動の精神病理』星和書店、2011年、p.8)


 中学校・高校の養護教諭から、「生徒から『自傷しちゃった』『自傷したくなっちゃった』といわれたら、どう言葉を返せばいいのでしょう?」と質問されることが多い。そんなとき、私は、「『よくいえたね』っていってみてはどうですか?」と答えることにしている。相手はたいてい不思議そうに私を見つめ返すが、私はいたって真剣である(同上;pp.9-11)。


*「よくいえたね」からさらに一歩踏み込んで、「からだは自分のものではなく、神さまからのかりものである」(ex.天理教)という「民衆宗教」的な世界観を若い世代に伝達するべきではないでしょうか?