SSRI治療に対する内部批判

 現代日本精神科医の主流派は、不安障害(パニック障害社会不安障害強迫性障害)に対して、認知療法を施すと同時に、SSRI(選択性セロトニン再取り込み阻害薬)を投与します。しかし、「薬物療法全盛」の現代日本の精神療法に批判的な精神科医町沢静夫(1945-)は、現代日本の精神医療ではあまり行われていない「行動療法」の必要性を主張し、「『身体醜形障害』や『強迫性障害』は薬物では治らない」と断言します。

 (熊田註;広場恐怖症を伴なうパニック障害の患者だけではなく)「身体醜形障害」の場合も、やはり(熊田註;「行動療法」の一種である)暴露療法が有効です。患者は、他人の目から見ると「自分の顔が醜い」と思っているので、「醜い」と言われるのが怖くて、一人で家にこもっていることが多いのです。かつては顔へのこだわりでしたが、次第に手足・胸・腹部など、体全体に広がりました。
 このような人たちは、薬物療法ではなかなかよくなりません。SSRI(脳内ホルモンの一種であるセロトニンを増やす薬)などは、このような強迫観念に効くと言われていますが、私の経験では、効いた試しは一度もありません。むしろ暴露療法を少しずつ進めて、人前でも自分の顔をさらすことができるようにすることが、重要な治療であると思われます。
 このような暴露療法は、さまざまなことに応用できます。たとえば行動療法の中の「反応制止」といったものも、「強迫性障害」の患者に行います。
 「反応制止」は手洗いに一日に何十回も行かなければ気がすまない患者に「さあ、ストップ」と声をかけて、そこで手洗いという行為を止めさせるものです。もちろん重症の患者は「止めなさい」と言って止めるはずはないのですが、それでも根気よくやっているうちに、少しずつ止められるように進歩することが多いのです。人からの声かけによって止めることはできても、自力ではなかなか止められない、というのが強迫性障害の特徴です(町沢静夫「日本人にあった精神療法とは」日本放送協会、2005年、pp.175-176)

 日本人は、「回避性人格障害」や「シゾイド(統合失調質)人格障害」といった、対人関係が十分に身についていない人や、対人関係を学ぶのが生来苦手な人が多いものです。このような人々に対して、行動療法をこれからも盛んに行わなければ、彼らを治すことはできないものと思われます。
(中略)
 (熊田註;SST(社会技能訓練)よりも)むしろロールプレイを肌理細かく指導していくことが、日本人には一番合っているように私は考えています。人前でしゃべること、人前で行動することは、日本人のシャイな気質にはいささか刺激が強いと思われるからです。
 暴露療法は、付きそって指導してくれる人がいることが望ましいのですが、現実には家族も忙しく、現実にはなかなか一緒に行ってくれる人が少ないのが問題です。行動療法を特別にする看護師や臨床心理士を専門的に養成して、彼らの協力を頼むのが、一番望ましいと思います(同上、pp.184-185)。

 
 町沢は、「不安障害」に対するSSRI治療だけではなく、SSRIが本来用いられていた「うつ病」治療におけるSSRI治療の有効性も、過大評価されているのではないか、と批判しています。

 
 他方、薬物療法は、一見効果があるように思っている人が多いのですが、私も再三いろいろな新薬の臨床試験、つまり治験といわれるものを試してみた結果、決してそんなに高い効果は見られるものではないことに気づきました。
 たとえば治験でSSRI(脳内ホルモンの一種であるセロトニンを増やす薬)などがあまり効果が高くないことを確かめ、驚いたものです。アメリカでは、SSRI抗うつ剤として七〇〜八〇%の効果があると報告されていますが、大体三〇〜四〇%というのが妥当なところです。
 これでは、SSRI以前の三環系抗うつ剤の方が、むしろ高い効果を示すのでないか、と思うほどです。また、抗精神病薬の中の非定型精神病薬も、初期は大変な効果があると広められましたが、実際はそのような効果は認められないことが、だんだんわかってきています。
 今や、新しい抗精神病薬の副作用をどう凌いでいくのか、ということで、私たち精神科医は苦しんでいます。
 そしてまた、薬の作用そのものは、患者の感情や患者の考えの内容そのものに食い込んでいくものではなりません。そのような感情や思考の内部に食い込んでいけるのは、結局、精神療法以外にない、ということを、私たちは再確認しなければならないと思います(同上、pp.249-250)。

 
 「行動療法」の一種である暴露療法に付きそって指導してくれる人は、看護師や臨床心理士でなくても、宗教ボランティアに一定の訓練を施せばそれでよいのではないか、と思われます。