公共図書館におけるBL本撤去事件に思う

 堺市の全市の図書館の書架から計5499冊の図書が、いっせいに書庫(閉架)に移されました。発端は、7月末に「市民」が「BL本が大量に図書館にある」と図書館に苦情を申し出たことです。これを受けて、8月に堺市が全市の図書館から関連本?を開架から閉架に移動したものです。ここにいたる経過の中で、ウラではさまざまな圧力があったようです。
 この事件については、本来なら、最大の被害者である、BL本を私費で購入するだけの金銭ないし家庭環境の余裕のない、いわゆる「腐女子」および「貴腐人」が、「当事者主権」で抗議の声を挙げるべきでしょう。日本には、小遣いでBL本を購入することすら親に許されていない女子がまだまだいます。しかし、この事件に関しては、「当事者」がうまく自分を表現できないようです。それだけ、日本社会における男性中心主義が根強く、「腐女子」や「貴腐人」は「言葉を奪われている」ということでしょう。拙著「男らしさという病?」(風媒社、2005年)の第3章「ヤオイ女性と百合男性が出会うときー親密性は変容するか」で論じたように、BL文化は、「女性が、女性という記号を離れて対等な対について思考実験するための避難所」であり、BL本の消費者は、「準フェミニスト」です。公共図書館にBL本を開架しておくことに嫌悪感を抱く人たちは、「同性愛嫌悪」を内面化しているか、「女性が性について表現することははしたない」と思っているか、のどちらかでしょう。アメリカのTVドラマ「Lの世界」や「セックス・アンド・ザ・シティ」が社会現象となる時代に、その感覚の保守性に呆れます。
 この事件を看過すれば、「準フェミニスト」たちから「避難所」を奪った余勢を駆って、バックラッシュ派は、「フェミニズム」本体への攻撃に手を付けるでしょう。この事件を見過ごすわけにはいきません。