日本の宗教と死生観

http://fps01.plala.or.jp/~brainx/oomoto1.htmより引用
「宗教界は全体として慎重な立場をとっています。臓器移植そのものには賛否が分かれます。「臓器移植をすれば助かる、だから臓器移植には反対をしない」という宗教があります。しかし「脳死を死とするか」については、ほとんどが否定的です。どこからともなく臓器がくるわけじゃないんですけれども、「臓器移植法はあってもいいんじゃないか」という宗教もありますが、「脳死は人の死か」ということに対しては、おおむねの宗教は賛成とは言いがたい立場をとっています。
 日本の宗教界は、このような問題は得意ではありません。本業はやはり、教団運営であり信徒育成、獲得なんですね。非常に現実的な話をしますと、一般にですね。それに対してボランティアとか社会運動、もっと言えば政治的な運動は、はっきり言ってメリットが少ない。逆に言うと、さきほどちょっと申し上げましたようにデメリットが出かねない。だからある教団の幹部が「できることなら避けて通りたい」というふうに、正直な方だと思いました。「こういう問題も考えろと言われたら大変なことだな。しかも、そのことで旗色、考え方を明確にしたら、またそれから教団内で議論が生まれたり、いろんな荷物を背負うことになるというのも、ある種、本音だろうなと思います。キリスト教を基盤とする国では、いろんな法律に宗教界の意見が当然のように出てきます。ある意味では(日本の)宗教界の怠慢があると感じています。」

 アメリカ大統領選ではありませんが、明らかに社会から「変化」を求められている現代日本の宗教界にとって、生命倫理の問題は試金石になると思います。日本の宗教にとって「共同善」とは何か、それはどういう特徴をもつのか、を突き詰めて考えて社会に「意見」(それは「異見」かもしれませんが)を表明できないと、社会から見捨てられかねません。私のような宗教学者の仕事は、宗教者が「理屈を捏ねる」ことに手を貸すことだと思っています。