日本の「女頭目」の伝統
赤松啓介さんの「非常民の民俗文化」(明石書店、1986年)を読むと、ムラや被差別部落や都市のスラムにおける「女頭目」の伝統についてかなりのページが割かれています。
「いずれの時代であろうとムラやマチを統御した女傑があった。彼女たちは全く無名のうちに消え去ったが、村落共同体の歴史を支えた基盤として生命を保っている。ただ幕藩制社会や近代社会では貞婦、孝女、烈婦などといわれる女たちが、あたかもムラやマチの女を代表するもののように称揚するけれども、それは政治倫理的な作為によるもので、ほんとうにムラを動かせるような女たちではない。品行方正、学力優秀などという並の女では、ムラやマチの生きた女たちの頭目にはなれなかった。」「彼女たちの出身階級は殆ど中流の下級である。上流の女性たちは汚い下層社会など見たくもないだろうし、下層の女性たちには他人の世話をする余裕などなかった。」
赤松さんは、ムラやマチにおける「女頭目」の呼称について、近畿での例として以下のようなものを挙げています。
オンナバレ・オンナゴクドウ、ハナゴクドウ・オンナダテ、オンナダテラ・オンナダイショ、オンナガシラ・オンナサイリョ、オンナシハイ・オンナゴテ、オンナゴネ・オンナミコシ・オンナキンダマ・カカティッシュ(熊田註;嬶天下の意味)、オトコマサリ・ゴケノガンバリ・オトコゴケ、オンナゴケ
赤松さんは、ムラの「若衆連中」の場合には、いちおう最高齢者のなかからカシラを選ぶのが普通であったのに対し、「オナゴ仲間」を指揮する女傑は、決してムラの幹部の女房たちではなく、さまざまな機会(特に共同作業)における同性のテストを経て選抜されていく、特に飲食物調製の共同作業の時にキバタラキが問われた、とムラのリーダー選抜方法のジェンダー非対称性についても述べています。
日本にフェミニズムを土着化させるためには、フェミニズムをこうした中下層階級の「女頭目」の伝統と接合する必要があるのではないでしょうか?