イエスは、十字架刑になる前日にも、弟子たちの足を洗ってやり、「私の死後も、お互いに足を洗い合うように」と伝えました。足を洗うという行為は、「相手に対して謙譲であれ」という意味と同時に、「心の余裕(ゆとり)を忘れるな」という意味もあったと思います。「病者の足はしばしばひどく汚れている」(中井久夫)。心のゆとりを忘れると、顔のような人目につくようなところは洗っていても、足のような人目につかないところの清潔にまで気を配ることができなくなっているのでしょう。「世の中には善人と悪人がいるのではなく、いろいろな意味で、ゆとりのある人とない人がいるのである」(中井久夫)。