民間精神療法・生命主義・グノーシス主義

明治時代の近代的な心身二元論に反発する形で、大正時代に全盛期を迎えた民間精神療法のブームは、その後、一方では大正生命主義と合流して一般大衆向けに新宗教の生命主義的救済観となり、他方では、人文書院がヘッセやサルトルの翻訳を広めるという形で、知識人層向けにグノーシス主義なものとなったのではないでしょうか。人文書院を舞台として、近代合理主義・生命主義的救済観・グノーシス主義、言い換えれば、近代合理主義・救済宗教・新霊性文化の三者が交錯した、と見ることもできます。