キリスト教と任侠

水谷八重子

一  キリストなんかも、その昔の一種の侠客だったのでしょうね。おのれを犠牲にして大きな愛ですべてを包む事は大変に尊いことと存じます。この意味で私はキリストの侠客的気分が大好きです。

二  こうした大きな人格は私なんかにはとても及びもつきません。ただ出来ることなら、それに向かって努力したいと思うのです(アンケート「私の好きな侠客」村松梢風(編著)『俠客の世界ー江戸から昭和までー』国書刊行会、2015年(アンケート1926年)、p291)。

*やはり近代の日本人は、キリスト教の「愛」を江戸時代の任侠の伝統に接ぎ木して理解する傾向があるようです。