天理教と嫁の帰郷

(前略)ここ(熊田注ー宇宙の聖なる中心である「おぢば」)を中心にして、「ようこそお帰り下さいました」と大書されたアーチをくぐり街に足を一歩踏み入れた途端、町が農家の嫁の帰郷の日をかたどった祝祭の仕掛けにいかに満ち満ちているかに驚く。それは実母が嫁の帰郷の日に周到に豊富に用意するものになんと近いことであろう。これらのすべてが、ミキが(宗教的)「創造の病い」をとおして、この祝祭性を喪失した地(熊田注ー大和平野)にもたらしたものである(中井久夫『治療文化論ー精神医学的再構築の試み』岩波同時代ライブラリー、1990年、p51)。

*成功した天理教子ども食堂を運営する分教会長夫人が、自らの子ども食堂のコンセプトを、「女性が実家に帰った時のようなほっとする食事」と表現していたことが思い起こされます。農作業と家事育児に追われていた幕末の農家の嫁と、非正規労働と家事育児に追われている現代の女性は、あまり置かれた社会状況が変化していないのかもしれません。