高橋留美子の漫画における男性像

愛知学院大学人間文化研究所紀要36号原稿(2021年9月刊行)

 

<著者>熊田一雄(宗教文化学科)

<題名>高橋留美子の漫画における男性像

 

<要旨>

 この論文の目的は、高橋留美子の漫画と高橋留美子に対するインタビュー記事を資料として、高橋留美子の漫画における男性像を男性性研究の観点から分析することにある。高橋留美子の漫画は男女の対等な関係にこだわる。この論文では、まず高橋がラヴ・コメディ漫画において、作品設定においてしばしば男性に巧妙に「ハンディ」を設け、男女平等の恋愛を描いていることを見る。次に、高橋が代表作のひとつ『うる星やつら』の執筆において、自分に「顔のいい男性は、ボケキャラでないといけない」というルールを設定していることを、学校に「男性の権力者」を作らないための工夫として分析する。さらに、高橋の漫画における「残念なダメ系男性」は、高橋が現実の日本人男性にはあまりない「優しさ」を男性に求めたものである、と論じる。高橋のラヴ・コメディ漫画は、「男女間の権力関係」に敏感であるからこそ、「男女平等」の恋愛関係を説得的に描くことに成功し、世界的に大変な人気を博しているのである。

 

<キーワード>

高橋留美子/男性性研究/ハンディ/美形のボケキャラ/ダメ系のやさしさ

 

 

<本論>

ヒーロー「こわかったらここにいなさい。/私と一緒に・・・」

ヒロイン「え・・・?」(ドキン)

(そ・・・それはつまり・・・/ともに永遠(とわ)にみたいな・・・?)(ドキドキドキ)

ヒーロー「おまえは・・・」

    「体が強いのはもちろんだが心根も良い。/素直で勇気がある。」

(ええ・・・!?/めっちゃほめられている。)(ドキドキ)

ヒーロー「おまえなら、私の下で、/充分に働ける。」

(んん!?)

ヒーロー「それに向こうの世界におまえがいなければ、/いずれ猫鬼(怪物-熊田注)は再び、大正(こちら)に戻ってくる。」

ヒーロー「それまでに私の下働きとして猫鬼と戦う術を覚えるといい。」

ヒロイン「いや/なんで私があんたの手下にならなきゃいけないの。」(ヒーローをひっぱたく―熊田注)

「何かちょうだい。/お守りとか武器とか。」(高橋留美子『MAO』3巻、pp.69-70)(図1)

 

 1. はじめに

    言うまでもなく、高橋留美子現代日本を代表する女性漫画家のひとりである。日本だけでなく、世界的にも評価が高い。2018年には米国アイズナー賞で殿堂入りし、2019年には仏アングレーム国際漫画祭グランプリを受賞している。2020年には、日本でも紫綬褒章を受章した。評価が高いだけでなく、高橋の作品はとてもよく売れ、すでに全世界で合計2億冊以上売れている(2020年時点)(『漫画家本vol.14ー高橋留美子本ー』による)。

 このように漫画界の巨人であるにもかかわらず、高橋留美子論は決して多くは出版されていない。全体像を論じるには、あまりにもスケールの大きな存在である。まだバリバリの現役であり、今後もベストセラー作品を書き続けることが予想される。「子ども向け」の通俗漫画家という偏見があり、真剣に論じる対象だとはあまり思われていない、といった理由によるのだろう。

 本稿も、「高橋漫画の全貌を論じる」といった無謀な企てを試みるものではない。本稿は、高橋の大ヒットしたラブ・コメディ漫画や、恋愛要素を含む代表作に見られる恋愛のあり方をジェンダー論の観点から考察し、「男女の対等な関係」にこだわる高橋が、しばしば男性に「ハンディ」を課するという作品設定を用い、美形の男性キャラはしばしばボケキャラにしていることを分析し、「残念なダメ系」の男性主人公に「優しさ」を付与していることを分析することにある。

 日本の漫画史において、高橋は日本の少年マンガに、少女漫画的作品傾向の「ラブコメ」を導入した漫画家である。しかし、高橋の「ラブコメ」は1980年前後に少年漫画を席巻した「ラブコメ」とは、ひと味違うものであった。その点を、「高橋留美子と漫画・アニメ史の転換期」という文章で、夏目房之助は次のように論じている。

 

 「うる星」が新鮮だったのは、善悪と戦いの勝利が問題だった少年漫画の「王道」に対し、ひたすらダメでモラル的にもいい加減な少年がむちゃくちゃ魅力的な美少女に愛されるという、一見ご都合主義的な「ラブコメ」の快楽によるところが大きい。これは少女マンガの「目立たない私でも、どこかに愛してくれる美青年がいる」という夢想の男子版のように見える。事実、80年前後に少年漫画を席巻する「ラブコメ」の多くは、そうした安易さに満ちていた。

 だが、高橋という作家の面白さは、じつはそれらのステレオタイプをパロディとしてすべて裏返していく裏切りの爽快感にあった。彼女の描くおじさん主人公の、ちょっと切なく見せて、じつは相当に意地の悪い視線の短編が示すように、その作品世界はいつも両義性を持っている。パロディは、この両義的視線の表現である(『漫画家本vol.14ー高橋留美子本ー』、p15)。

 

 私見では、男女の恋愛に関して、高橋は「夢見る」には、ニヒリストといってもいいほどのリアリストである。冒頭のエピグラフにように「男女の対等な関係」を求めるという意味では、「隠れフェミニスト」と言ってもいいかもしれない。

 高橋が「隠れフェミニスト」であることがよく現れている作品のひとつが、初期の短編「ザ・超女(スーパーギャル)」(1980=1995)である。作品からネームを引用する。

 

 「大金持ちと結婚すれば借金の肩代わりしてもらえるのよ!!/アルバイト人生さようなら!!」(やたっ/やたっ)

 「打算的じゃねー・・・」

 (中略)

 「すぐに助けてあげる!!/あたしの王子様!!」(\\チュッ\)

 「あたしをあげる!!/みんなあげる!!/だからお金をちょうだい!!」

 「ん?/なんかいった?」

 (女性主人公の仕事のパートナー―熊田注)「話しかけるな!!/きみにはもう二度とまともな話題をもちかけまいと思っているとこだ!!」(高橋1980=1995、p72,74)

 

 ここでは、「金目当ての打算的な結婚」を希望する若い女性が、徹底した軽蔑の対象となっている。高橋が、「経済のための結婚」を退けて「純粋な恋愛」を夢見ていることがよくわかる短編である。

 高橋は男女関係の必然性に強くこだわる。高橋自身、対談において次のように説明している。

 

 高橋 ただ、基本は男女交際ですから。とにかく男と女のという要素だけは絶対外せないと思っているんです。

 平井 だって、人間というのは男と女しかいないじゃないですか。

 高橋 漫画にも小説にもそれがないと、絶対に面白いものにはならないという確信がありますからね。

 平井 それは確かです。

 高橋 何をかく(ママ)にしてもそれが基本というのは当然なんですけれども、あとはいかにそれにおどろおどろといろいろな要素を入れてやっていくかですね。だから、どんな異常な存在であろうが、能力があろうが、それを全部取っ払っていったら、最後に残るのは男であるのか女であるのかというようなものだと思うんですよ。

 平井 全部突き詰めていって?

 高橋 突き詰めた場合、そうなるということで、だから、男女交際という基本ラインは必ず出てくるんだけれども、逆にそれをどうやって書いていくのかという部分で、それがどういう男なのか、どういう女なのか、そしてどういう異常設定なのかということが出てくるわけです。後は、何とも口では言えないんですが・・・・・・(高橋・平井1984、pp.78-79)

 

 そして、作品の中核をなす男女関係を「対等なもの」として描くところも、初期の作品『ダストパート!!』から変わらない(図2)(高橋1979=1995)。

 

 

2.男性主人公とハンディ

 イギリス文学の古典『ジェーン・エア』(1847)について、ヒロインである孤児院出身のジェーン・エアは、恋人のロチェスター伯爵が火災で家屋敷(と元妻)を失い失明する一方で、自分の方は「叔父の遺産」を相続した時に、始めて伯爵のプロポーズを受け入れるが、そこに女性作者シャルロット・ブロンテ(1816-1855)の男女間の権力関係についての近代的な醒めた認識がある、と聞いたことがある。伯爵とただの孤児のままでは、結婚しても、男女関係が「支配―従属関係」になってしまう危険性があるのである。「近代」社会では、男性に何らかのハンディを科さなければ、男女間の「対等な対」を説得的に描くことができなかったのではないか。
 1980年代に入る頃から、リアリストの高橋は、ラヴ・コメディ漫画において男性主人公には巧妙にハンディを科した作品設定を用いている。『うる星やつら』(1978-1987)では、鬼娘ラムには「飛行と電撃の能力」を与えた。『めぞん一刻』(1980-1987)では、管理人の響子さんには「アパート一棟の所有権」を与えていた。その後、『らんま1/2』(1987-1996)では、J・バトラーが描いたような、「ジェンダーアイデンティティは可変的である」というポストモダン的状況を書いた後、高橋は、『犬夜叉』(1996-2009)においては、再びハンディ付きの「男女の対等な」恋愛を描いた。
 『犬夜叉』のヒロイン・女子中学生の「かごめ」は、いつもセーラー服を着ていて、半妖(妖怪と人間のハーフ)の「完全無欠な」クールでかっこいいヒーロー・犬夜叉に守ってもらうだけではなく、犬夜叉とともに悪の勢力と戦う。かごめは、もはや超能力も不動産ももっていない。ただし、半妖(妖怪と人間のハーフ)のヒーロー・犬夜叉の頭にはわっかがはめられており、かごめが「おすわり」(英訳では“Sit!”)と「玉鎮めの言霊」をかけると、地面にたたきつけられて腰砕け状態になってしまう。恋愛関係において、男性には、ハンディを科さなければ男女の対等な関係を説得的には描けない。犬夜叉の頭にはめられたわっかのような製品を実用化すれば、購入して恋人や配偶者の男性に身につけさせたいという女性は、日本にごまんといるのではないだろうか。
 次の大ヒット作『境界のRINNNE』(2009年-2018年)では、ヒロインの女子高生・真宮桜は、中流階級の「普通」の家庭の子女であり、鬼娘ラムのような超能力も、音無響子のような不動産も、かごめのような魔法の力ももっていない。しかし、ヒーローの六道りんね(死神と人間のハーフ)は高校のクラブ棟に住み込んで内職をしながら高校に通うほど「貧乏」と設定されている。「富の有無」という形を用いて、高橋は依然としてヒーローに巧妙にハンディを科し続けている。
 『らんま1/2』における男性主人公・らんまは、水を浴びると女性になる、という「ハンディ」を背負っていると見ることもできる。『らんま1/2』における男性主人公・らんまと女性主人公・あかねの恋愛については、インタビューで高橋は次のように答えている。

 

―― 『うる星やつら』は追いかけっこ、『めぞん一刻』は片思いとすれ違いで物語を引っ張っていかれた訳ですが、ラムも響子さんも、男たちよりある意味では「上」にいる女性ですよね。前者はいくつかの特殊能力や異星の科学アイテムを持っていて、後者は経験豊富な年上の女性のわけで。それに比べてあかねは、好きな男の子と対等な感じがいいな、と思いました。

高橋 まさにおっしゃるとおりで、そういう意味では今回の漫画は、主役の男女の関係においてもバトルを描きたかったんです。ラムとあたるみたいな追いかけっこじゃなくて、お互い対等な立場でガンガンぶつかっていくという(『漫画家本vol.14ー高橋留美子読本ー』2019、p55)。

 

 こうした視点で高橋の漫画を見るとき、興味深いのは最新の長編『MAO』である。まだ続刊中だが、現時点(2021年3月時点)までは、男性主人公には「ハンディ」が科されていない。日本社会における女性差別と男尊女卑は依然として根強いのだが、昔に比べれば女性の社会的地位が向上し、「男女の対等な関係」を描くために、1980年代の『うる星やつら』から2010年代の『境界のRINNE』の書かれた時代に比べれば、男性主人公に露骨なハンディを科す必要が感じられなくなってきたのかもしれない。

 

 

3.イケメンのボケキャラ

高橋は、最近のロングインタビューの中で、自作における「イケメン」の男性キャラについて、次のような興味深い発言をしている。

 

―竜之介は性を超越したキャラで、これはのちに高橋先生が好んで描かれるキャラの型のひとつだと思います。

高橋 「うる星」の場合、「顔がいい男性キャラは絶対にボケのキャラじゃないといけない」というルールを作っていたんです。面堂終太郎がその代表ですけど、そればかりだとだんだんストレスも溜まってきて。たまにはかっこいい男性キャラを普通にかっこよく描きたい。でも、せっかく作ったルールを破るのも嫌だしなと思っていたら、あるとき、女のキャラならそれが許されるんじゃないか、と閃いたんですよ。「一見かっこいい男の子だけど本当は女の子」という設定なら、それ自体がボケになりますしね(同上、pp.38-39)。

 

(前略)では、高橋自身が(『うる星やつら』の中で―熊田注)最も好きなキャラとは?

「竜之介ですね」

浜茶屋「海が好き」の跡継ぎ、藤波竜之介。見た目は美男子だが実は女の子で、口癖は「おれは女だ!」。彼女を“理想の男性”と語る女子読者多数。

「連載中盤に初登場しますが、ちょうど行き詰まっていて。彼女が新しいエネルギーを持ってきてくれた。ジェンダーが曖昧で、それも描いていて楽しかったですね。『うる星~』では男性キャラは絶対ボケなきゃいけないんですけど、竜之介はそれに縛られない」(『ダ・ヴィンチ』、p35)

 

 

 高橋留美子が『うる星やつら』を描くにあたって自分に科した、「顔がいい男性キャラは絶対にボケのキャラじゃないといけない」というルール、とは、1.学校社会に昔の「王道」少女マンガが描いていたようなパーフェクトなヒーローを持ち込んで、少年誌の男性読者に劣等感を抱かせない、2.学校内の男子と女子の関係に「美形のパーフェクトなヒーローの優位」という力関係を持ち込まない、ということのための工夫とも考えられる。異性の目を意識しがちな思春期の生徒にとって、「スクール・カースト」は厳然と存在し、美形であることは、権力者たる条件になりうる。

 『うる星やつら』に登場する面堂終太郎は、イケメンでかつ財閥の御曹司であるが、暗所恐怖症で、頭から釣り鐘を被せられると、「暗いよー。狭いよー。怖いよー。」と泣きわめくという決定的な弱点がある。もちろん、(おそらくは)ヘテロの女性として、高橋も「たまにはかっこいい男性キャラを普通にかっこよく描きたい」のである。しかしリアリストとして、ダイレクトにそれをすると、少年誌の一般男子の読者の支持を失うし、男女関係に「支配―従属」関係を持ち込んでしまうことになるのがよくわかっているのだと思う。

 

 

4.ダメ系のやさしさ

 『うる星やつら』や『めぞん一刻』以来、高橋は残念でダメ系の男性を主人公にすることが多い。その点を、2013年のインタビューで高橋は次のように説明している。

 

残念なダメ系の男性は、あたる(『うる星やつら』の男性主人公―熊田注)や五代(『めぞん一刻』の男性主人公)から連綿と続く高橋マンガの特徴的系譜でもある。このキャラ造型は、高橋の素晴らしい発明だ。

「そうですね。でもただダメなわけじゃなくて、彼らなりの価値観とか信念がある。たとえば、五代は決して人を騙したり陥れたりしない。私の中に物差しがあって、それに従って彼らの人柄を描いているんだと思うんです」

 だからこそ、あたるもおじさんもダメだけど愛おしい。彼らの心には限りない優しさがある。

「私の希望のあらわれかな。彼らの優しさこそ本当のSFかもしれない(笑)」( 『ダ・ヴィンチ』2013年12月号、p39)

 

 『うる星やつら』の主人公あたるの「優しさ」については、高橋は次のように答えている。

 

―― あたるは、女好きで軽薄な男のイメージも強いんですけど、今回取材するにあたり再読してみたら、要所要所で繰り返し、女の子に対する優しさがさりげなく描かれているんですよね。その、彼のさりげない優しさにちょっと胸を打たれました。「うる星」といえば、つい可愛いヒロインたちに目がいきがちですけど、そもそも主人公は彼ですからね。もっとあたるのピュアな部分に注目していただきたい、とこの場を借りて言っておきましょう(笑)。

高橋 ありがとうございます(笑)(同上、pp.37-38)。

 

 『めぞん一刻』の主人公・五代の「限りない優しさ」については、作品ラスト近くの日本漫画史に残る名シーンを想起されたい(図3)。

 高橋以前の少年漫画では、男性主人公は「人並みはずれて優れている」のが普通であった。それに対して、高橋はどこにでもいるような残念でダメ系の主人公を描いて、その代わり彼らに「限りない優しさ」を与えた。「私の希望のあらわれかな。彼らの優しさこそ本当のSFかもしれない(笑)」という発言に、高橋のニヒリズムすれすれのリアリズムを見てとることができる。高橋は、男性のそんな「優しさ」は現実というよりもSF(虚構)であり、あくまで(おそらく)ヘテロ女性である自分の男性に対する「希望」にすぎない、ということがよくわかっているのであろう。

 

 

5.おわりに―少年少女への誘惑―

以上をまとめると、少年漫画に恋愛という少女漫画的要素を持ち込んで「ラブコメ」という新ジャンルを発明したとされている高橋は、一見「王道」少女漫画の少年版を描いているように見えて、実のところは、醒めたリアリストの女性として、少年誌の読者を「男女の対等な関係」へと誘惑している、とも解釈できる。ダメでもいい、イケメンでなくてもいい。『めぞん一刻』の男性主人公・五代のライバルの名前は三鷹で、おそらく結婚条件における「三高」をパロディにしたネーミングである。ただ、「ハンディ」を背負ってでも、女性に威張ることなく、「限りない優しさ」をもち、女性と「対等な関係」に入ってほしい、という誘惑である。「男女関係において女性と対等であれ」というこの誘惑こそが、「ルーミック・ワールド」を1980年代から50年近く、いつも少年少女を惹きつけてきた大きな要因のひとつではないだろうか(1)。

 

 

<注>

(1)本稿では論じなかったが、減量下手のボクサーとカトリックのシスターの恋愛を描いた、高橋の漫画『1ポンドの福音』は、「スポ根もの」と「ラヴ・コメディ」を融合させた(「女のためにボクシングする」)だけではない。それだけなら、あだち充の野球漫画『タッチ』と同じである(『ユリイカ-少年サンデーの時代-』2014を参照のこと)。男性主人公をボクサーとしただけではなく、女性主人公の側もカトリックのシスターと設定したことによって、「ひとつのことに打ち込むために、異性は邪魔である」という「宮本武蔵イデオロギー」に挑戦して、成功している(図4)。日本社会に根強く残る「宮本武蔵イデオロギー」については、『「宮本武蔵」は生きつづけるか』を参照されたい(水野・桜井・長谷川2001)。

 

 

 

<参考文献>

高橋留美子「ダストパート!!」『高橋留美子傑作短編集1』小学館、1995年(初出1979年)

「ザ・超女(スーパーギャル)」『高橋留美子傑作短編集2』小学館、1995年(初出1980年)           

うる星やつら』全18巻完結セット、小学館、2011年(初出1978年~1987年)

     『めぞん一刻』新装版全15巻完結セット、小学館、2007年(初出1980年~1987年)

     『らんま1/2(1)~(38)』小学館、1988年~1996年(初出1987年~1996年)

1ポンドの福音(1)~(4)』小学館、1989年~2007年(初出1987年~2007年)

犬夜叉』コミック全56巻完結セット、小学館、2009年(初出1996年~2008年)

境界のRINNE』コミック全40巻セット、小学館、2018年(初出2009年~2018年)

『MAO(1)~(8)』(続刊中)、小学館、2019年~2021年(続刊中) 

高橋留美子平井和正『語り尽くせ熱愛時代』徳間書店1984

ダ・ヴィンチ-特集・高橋留美子-』2013年12月号、KADOKAWA、2013年

ユリイカ週刊少年サンデーの時代-』2014年3月号、青土社、2014年

『漫画家本vol.14-高橋留美子本―』小学館、2019年

水野・桜井・長谷川『「宮本武蔵」は生きつづけるか』文眞堂、2001年