漱石の『こころ』がわからない男たち

 僕もね、正直言いまして、『こころ』ってよく理解できないんです。「文学の奥深さ」に行きつく前に、「なんなんだよ、この話は?」みたいな方に行ってしまいます。あの登場人物がみんな何を考えているのか、さっぱりわからなくて、感動できませんでした。すみません。でも、そういう人って、僕のほかにけっこういるんじゃないでしょうか?「『こころ』はもうひとつよくわからんクラブ」というのをブログで立ち上げたら、けっこう盛り上がりそうな気がするのですが(村上春樹村上さんのところ」新潮社、2015年、p129)。


橋本治が『蓮と刀ー男はなぜ“男”を怖がるかー』(河出文庫、1986年)で見事に指摘しているように、漱石の『こころ』は、土居健郎がいうような同性愛「的」感情を描いた小説ではなく、ずばり「ホモ小説」です。村上春樹のような「漱石の『こころ』がわからない男たち」は、「内なるホモセクシュアリティ」を徹底的に抑圧しているヘテロ男性たちなのだと思います。