「村上主義者」の保守性

 百田尚樹永遠の0』(講談社文庫、2009年)のアマゾン・ブックレビューに以下のような書き込みをすると、「30人中18人」が「参考になった」としています(2015年8月20日時点)。


 長い目で見れば「男らしさ」「女らしさ」から「自分らしさ」が大事という方向に移り、ジェンダー(社会的、文化的性差)は解消に向かうでしょう。
 今は過渡的な時期。近代の「男らしさ」への愛着も根強く残っている。その特徴の一つはパターナリズム(父性的温情主義)。男は女や子どもを守るものだという考え方です。もう一つはホモソーシャル(女性・同性愛者嫌悪に基づく男性同士の連帯)な絆。心の中は男性の戦友のことでいっぱいで、それを最優先します。
 その典型が、昨年、小説と映画が記録的なヒットになった『永遠の0』の主人公です。彼は特攻に反対でしたが、自分だけが助かっていいのかという気持ちから特攻機に乗る。そして、部下だけは助かるようにして死んでいきます。生き残った部下は主人公の妻と子どもを守ると決意します。つまり、男同士の絆ほど尊いものはないということです。間接的に女性や同性愛者をおとしめるソフトな性差別の作品だと思います。「義理と人情を秤にかけりゃ、義理が重たい男の世界」を描く任侠映画が大好きだった団塊左翼には、否定しにくい作品でしょう。


 しかし、村上春樹村上さんのところ』(新潮社、2015年)に以下のようなブックレビューを載せても、「参考になった」という人は、「2人中0人」です。


 文学や音楽についての該博な知識から教えられることが多く、一読の価値はあると思います。例えば、私はこの本でジャズ・ピアニストの大西順子について教わりました。しかし、村上さんは女性や同性愛者に理解があるつもりのようですが、無意識のレベルでは、団塊オヤジ特有の女性嫌悪と同性愛者嫌悪から自由になれないのだと思います。
 男性よりも女性の方がより悪が深いのか?より致死性が高いのか?こんなことを言うと叱られそうだけれど、たぶんそのとおりだと僕は思います(p128)。―男性よりも女性のほうが罪や業が深い、というのは、典型的な女性差別のレトリックです。
「『こころ』はもうひとつよくわからんクラブ」というのをブログで立ち上げたら、けっこう盛り上がりそうな気がするのですが(p129)。―橋本治が『蓮と刀ー男はなぜ“男”を怖がるかー』(河出文庫、1986年)で見事に指摘しているように、漱石の『こころ』は、ずばり「ホモ小説」です。「漱石の『こころ』がわからない男たち」は、「内なるホモセクシュアリティ」を徹底的に抑圧している男性たちなのだと思います。


*「村上主義者」(上記の本で、村上さんが、「ハルキスト」に代えてこの呼称を提案しています)のジェンダーに関する保守性は、百田尚樹氏よりも手強いのかもしれません。ちなみに、上記の本によると、村上さんも学生時代は任侠映画に熱狂していたそうです。やれやれ。