平成天皇と平和憲法

http://www.ceac.jp/cgi/m-bbs/index.php?title=&form%5Bno%5D=2330 より転載


 私は昭和26年生れであり、私の長兄は終戦の年の昭和20年生れであるから、私の父母の世代は、戦中・戦後と最も苦難の時期を乗り越えて来た世代でもある。私の父も兵役に服しており、軍属として満州で奉職していた時代の思い出話など、よく聞かされた記憶がある。そのようなことを思い出すにつけて、陛下も国民と苦楽を共に生き抜いて来られたことがよく理解できる。昭和天皇のご苦労についても、よく知っておられる。また後段の言葉からは、陛下が日本国憲法に対して深い思い入れを持っておられることが、理解される。特に陛下の「知日派の米国人の協力」という言葉を聞いて思い出すのは、陛下のご教育係であったエリザベス・ヴァイニング夫人のことである。敗戦直後、12歳の陛下の教育係として米国から招聘されたヴァイニング夫人は、キリスト教クエーカー派の熱心な信者であった。クエーカー教徒は絶対平和主義を信条としており、先の大戦においても良心的兵役拒否を貫いたことで知られる。また、昭和天皇は「ヴァイニング夫人を、皇太子の教育係として招いたことは、大きな成功であった」と、後に述べておられる。                        
 ヴァイニング夫人は、陛下の12歳から16歳に至るまでの4年間(昭和21年〜25年)、教育係としての務めを果たされており、陛下にとって「第二の母」とも言うべき方であった。夫人は、帰国後『皇太子の窓』という著作を著し、陛下(当時の皇太子殿下)との想い出を書き記しているが、それを読むと、いかに夫人が、陛下に対して敬愛の感情を抱き、強い使命感を持っていたかが、理解される。夫人は、米国を出発する時の心境を、「わたしは、平和と和解のために献身したいという強い願いを持っていた。日本が新憲法において戦争を放棄したことは、わたしにはきわめて意義深いことに思われた。平和のために一切を賭けようとしてしている日本の人々にはげましを与え、それからまた、永続的な平和の基礎となるべき自由と正義と善意との理想を、成長期にある皇太子殿下に示す絶好の機会が、いま眼の前にあるのだ」と書き記している。
 『皇太子の窓』は、米国でも出版され、米国民の日本に対する理解を深めることに大いに寄与した。米国では「天皇制を廃止せよ」との論調がまだ残っていた時代であり、夫人の『皇太子の窓』は、日本の皇室に対する米国民の理解を深めることにどれほど貢献したことか、計り知れないものがある。天皇陛下に対するそれまでの米国民のイメージと言えば、「日本軍国主義の象徴」であったということは、容易に推察できる。ヴァイニング夫人が『皇太子の窓』で米国民に伝えたかったことは、日本の次の天皇が「平和と民主主義の象徴」として立派に成長しつつあるという姿を示すということであった。日米の同盟関係も、このような精神的絆の強い基盤を持つことによって成り立っていることを忘れるべきではないと思う。


反天皇制団塊左翼には悪いけれども、今日、憲法9条改憲反対に最も強い影響力をもっているのは、平成天皇かもしれません。そういえば、憲法9条改正を主張していた三島由紀夫がどこかでヴァイニング夫人を罵倒していました。三島には、「難敵の正体」が見えていたのでしょう。ヴァイニング夫人は、平成天皇の家庭教師を辞めた後、ベトナム反戦運動に参加して逮捕されています。
 絶対平和主義を掲げるクウェーカー派は、二度ノーベル平和賞を受賞しています。日本人がノーベル賞に弱いことを考えれば、象徴天皇制とクウェーカー派の関係は、もっと強調されてもいいと思います。