特攻隊の犠牲の上とは?

 ミズーリ号の左舷中央構造物に迫る特攻隊の写真がある。凄絶である。なにゆえの特攻だったか。吉田満の『戦艦大和ノ最期』で士官の議論をまとめた臼淵大尉は「新生日本にさきがけて散る。本望じゃないか」という。日本は敗北して一から出直すしかないところまできている、そのために死ぬのだ、自分たちの死の意義はそれしかない、というのだ。特攻隊の犠牲の上に今の日本があるとはそういう意味である。それ以外にはおよそ考えられない。
 特攻機は無効ではなかった。米艦の乗組員は燃えるガソリンを全身に浴びる恐怖に脅え、戦争神経症を大量に生んだ。しかし、「では降伏しよう」に繋がらない。そして戦勝目前に死ぬほどつまらないことはない。米兵の憎悪を増幅した理由の一つである(中井久夫「戦艦ミズーリ特攻機」『日時計の影』みすず書房、2008年(初出2007年)、pp.210-211)。


*小説「永遠の0」の作者・百田尚樹氏と、小説・映画に酔った日本人にかみしめて欲しい指摘です。