武装としてのファッション

愛知学院大学人間文化研究所所報』38号(2012年9月刊行)


<題名>「武装としてのファッション」
<著者>熊田一雄(宗教文化学科准教授)


―「見ることには愛があるが、見られることには憎悪がある」(安部公房箱男』)


 ファッションには、「武装」としての側面があるのではないか。本稿では、そのことをミュージシャンの椎名林檎、小説=映画の『下妻物語』、ミュージシャンのレディー・ガガを例にとって論じてみたい。
 まず、若者にカリスマ的な人気のある、ロックバンド「東京事変」の元・ボーカル椎名林檎(1978―)と彼女のファッションをジェンダーの視点から考察したい。好きなファンはファッションまで真似するという、カリスマ性のあるミュージシャンである。椎名林檎の音楽作品には、ジェンダーの視点から見て興味深いものが多い。
 たとえば、椎名林檎の初期の大ヒット曲「歌舞伎町の女王」(1998年)の歌詞は、男性向けの歓楽街で高級娼婦の母に捨てられた娘が、自分も高級娼婦になるという内容である。この曲の歌詞は、男性中心社会において、現代的な母娘関係が抱えがちな心理的葛藤をデフォルメ(誇張)したものとして分析することが可能である。
 このように、椎名林檎の初期のヒット曲には、「痛い」内容のものが少なくない。1998年にデビューした当時は、彼女自身が「女ぎらい」を内面化して「自己嫌悪」してしまい、「生きづらい」人だったのではないだろうか。自分を「ちっぽけで汚らしい動物、牝」に喩えた楽曲「サカナ」が、初期の椎名林檎の「女ぎらい=自己嫌悪」をよく表している。ところが、椎名林檎の円熟した近年の音楽作品からは、そうした「痛さ」が消えている。
 椎名林檎の場合は、出産を契機として、「女ぎらい=自己嫌悪」から解放されたのではないだろうか。この間の事情を、彼女はファッション誌『Lips』(2011年6月23日発売号、マガジンハウス社、2011年)におけるインタビューで以下のように語っている(94頁〜95頁)。


「本来、女性は誰もが変幻自在な存在だと思うんです。自分次第で何者にでもなれるはずなのに、社会だったり男性の目線だったり、余計なことに捕らわれて不自由になりがちなのも、また女性。それはもったいないと思う」
(中略)
「(前略)年齢を重ねることを厭う女性も多いらしいけれど、私は嬉しい。実際、30歳を超えてラクになれたから。女性って20代までは大変ですよね。意中の男性とかクライアントとか対象あっての存在という感じがするでしょう。『それやるとモテなくなるよ』みたいな情報に縛られて消耗してしまったり、正直で居られなくなる。私もご多分に漏れずデビュー当時は、スカートなんて絶対に履きたくなかったし、履かなきゃならないなら制服にする!とか言っていました(笑)。女性として中途半端に対象物となることへ、精一杯抵抗していたんです」
当時を思い出して苦笑する。
「やわらかくて美しくて変幻自在で・・・・・・私は女性という存在が大好きなんですけど、女性である実在の自分とはうまく付き合えなかった。でも、そんな迷いも30を超える頃には抜けて、素直に楽しめるようになった。それは仕事の経験値も大きいけれど、いちばんは、やっぱり、出産のおかげだと思います。息子を産んだことで、次世代へのバトンを渡せた気がして、肩の力が抜けたんですよね。もう、自分はどう見られてもかまわないって思えた。それまでは、作品のこと以外は何言われても平気なんていいながらも、本当はいちいち気にしていましたから」
(中略)
「(前略)同世代の女性もね、思い切り我が侭に生きて欲しいなと思います。先のことは分からないし、大変な時代だからこそ、他人の目や社会が漠然と用意した思い込みに縛られるなんてますます意味がないと思うし・・・・・・。各々が自分の道を生きた方がいい。そういう人同士が実際に出会えたら話が早いし、きっと、素敵な関係を育めると思うから」


 この男性中心社会に生きる人間は、誰もが「女ぎらい」から完全には自由ではない。現代日本の若者も「女ぎらい」からまだ完全には自由ではない点は同じである。若い女性は、たとえそのことに強い不快感を抱いていたとしても、(男性中心)社会や男性の視線の中を生きざるをえない、という事情は、現代日本の若者の間でも変わっていないことが、このインタビューからわかる。椎名林檎の場合は、デビュー当時は『女ぎらい』を強く内面化して『自己嫌悪』していたある意味では古いタイプの女性が、たまたま出産を契機に「社会や男性の視線」からの自己解放に成功した事例といえるだろう。
 もちろん、私は「女性=母性(産む性)」という近代的なジェンダーバイアスを持ち出したいのではない。「社会や男性の視線」からの女性の自己解放の契機が出産である必要は全くない。しかし、『社会や男性の視線』から何かの契機で自己解放されなければ、女性が完全に自己肯定する(「素直に楽しむ」)ことが困難であるという事情は、現代の日本の若者においてもまだ変わっていないということが、椎名林檎の事例から分かる。
 「武装」としてのファッションを論じる本稿の趣旨からは、椎名林檎が、「私もご多分に漏れずデビュー当時は、スカートなんて絶対に履きたくなかったし、履かなきゃならないなら制服にする!とか言っていました(笑)。女性として中途半端に対象物となることへ、精一杯抵抗していたんです」と発言していることが注目される。デビュー当時の椎名林檎にとって、制服は「社会の視線」「男性の視線」に対抗するためのいわば「武装」だったのではないか。
 次に、小説=映画『下妻物語』におけるファッションを論じる。嶽本野ばらの小説「下妻物語―ヤンキーちゃんとロリータちゃん」と2004年の映画版は佳作である。主人公の竜ヶ崎桃子のロリータ・ファッションは、茨城県下妻市というジェンダーに関して保守的な環境において、男性(オヤジ)の女性を「聖母か娼婦か」(田中美津)に分断する視線を跳ね返すための「武装」としての側面があるのではないか。「私は聖母にも娼婦にもならない」と宣言する武装という点では、桃子のロリータ・ファッションは、ヤンキーである親友・白百合苺の「特攻服」と同じである。桃子の「ダメ親父」は、母親(桃子の祖母)から精神的に自立できておらず、桃子が高校を中退すると言うと、桃子にキャバクラ嬢ソープ嬢になることを勧めるような、絵に描いたような女性を「聖母か娼婦か」に分断する男性である。ロリータ・ファッションに、男性中心主義社会における女性の「武装」という側面があることを見抜いたのは、嶽本の慧眼であろう。
 最後に、「世界の歌姫」であるレディ=ガガの奇抜なファッションに「武装」としての側面があることをみる。
 「ミクシィ・ニュース」2012年2月11日号に、「レディー・ガガ、声が出なくなるまで吐いていた摂食障害を激白」と題して以下のような記事が掲載された。


 レディー・ガガが十代の頃、痩せたいと願うばかりに摂食障害になり、高校で吐いてばかりいたことを告白し、若い女性たちにダイエット戦争の終結を呼びかけている。
 マリア・シュライバーが米国の学校で開催した「It’s Our Turn」という女学生向けのカンファレンスに招かれたガガは、「私はいつも高校で吐いていた。小柄で痩せこけたバレリーナのような体型になりたかったのに、曲線的なイタリア人の娘で、家に帰れば、毎晩パパがミートボールを食べていた」と語り、あまり頻繁に吐きすぎて、声に影響が出ていたことを明かし、「声が変になってきたの。だから止めたわ。声帯がおかしくなるのよ。それは本当にひどい状態だわ」と語っている。
 さらにガガは、自らを含め、少女たちがメディアで見ているスターたちの姿はリアリティーとは違うと発言し、「体重管理には今でも苦労している。ビデオの中の私や、雑誌に出ている私の写真は、全部加工されているわ。彼らは私たちを完璧にする。あれは現実とは違うの。私が女の子たちに言いたいのは、ダイエット戦争は止めなさいということ。みんなで一緒に止めるのよ。だって、それは、あなたたちの年齢の子供たちに影響を与え、女の子たちを病気にしているからよ」と語っている。


 レディー・ガガの奇抜な(?)ファッションは、「女らしくあれ」という男性社会の視線に対抗するための「武装」なのであろう。