極東のスイス

 逆にいえば無名の人までが酔った時が危機であった。それは、歴史をふりかえると、マスコミにあおられて、日露戦争直後の日比谷の焼き打ちに始まり「排英運動」「暴支膺懲」に続く。子どもの雑誌絵本の類いが真っ先に軍国主義化したことも忘れないでおこう。
 経済援助も留学生十万人計画もよいが、日本でなければというものではない。では、日本が独自なのは何だろうか。目下アジアでもっとも言論の自由な地域だということである。留学生が感銘するのはまず言論の自由と治安のよさである。かつてマッカーサーは日本の目標を「極東のスイス」と言った。彼の言った意味はともかく、今のアジアが真に必要としているのは「スイス」の象徴する安全地帯であり、日本の貢献の第一は、この意味での「極東のスイス」となることである。これがアジアへのもっとも有意義な借財返還でもないだろうか。
 ヨーロッパの十七世紀においてオランダがそうであったような、言論の自由な国がアジアに一つでもあるのと全然ないのとでは大違いである。あの時期の西欧に、もし出版と言論の自由なオランダという小国がなかったら、デカルトスピノザもなく、西欧文明のレベルはぐっと低くなったであろう(中井久夫「国際化と日の丸」『清陰星雨』みすず書房、2002年(初出1991年)、p41)。


*いまでも十分通用する見識だと思います。