「特攻隊の犠牲の上」とは?

 ミズーリ号の左舷中央構造物に迫る特攻機の写真がある。凄絶である。なにゆえの特攻だったか。吉田満の『戦艦大和ノ最期』で士官の議論をまとめた臼淵大尉は「新生日本にさきがけて散る。本望じゃないか」という。日本は敗北して一から出直すしかないところまできている、そのために死ぬのだ、自分たちの死の意義はそれしかない、というのだ。特攻隊の犠牲の上に今の日本があるとはそういう意味である。それ以外にはおよそ考えられない(中井久夫「戦艦ミズーリ特攻機」『日時計の影』2008年(初出2007年)、pp.210-211)。


*政治家の安倍晋三氏と、その「お友だち」で「永遠の0」を書いた小説家の百田尚樹氏は、上記のことがわかっていないのだと思います。「永遠の0」を映画化した『朝日新聞』も、五十歩百歩です。


アンパンマンの孤独ー愛と勇気とホモソーシャルー」
http://d.hatena.ne.jp/kkumata/20140329/p1