女の生きる価値とは?―シングルマザーの貧困と孤立

http://www.huffingtonpost.jp/wotopi/post_7055_b_4928631.html?utm_hp_ref=tw より転載
女の生きる価値とは? 大阪二児置き去り死事件を追ったルポライターが語るシングルマザーの貧困と孤立


2010年夏、大阪のマンションで3歳の女児と1歳9ヶ月の男児の遺体が発見された。子どもを置き去りにしたとして逮捕されたのは23歳の母親。逮捕直後の報道では母親が風俗嬢として働いていたこと、子どもを放置しながらSNSでは遊びまわる様子を投稿していたことなどがセンセーショナルに報じられた。
昨年3月、虐待死事件としては異例の重さとなる判決・懲役30年が確定。『ルポ虐待――大阪二児置き去り死事件』(ちくま新書)では、逮捕された母親・芽衣さん(作品中の仮名)の生まれ育った環境や事件前後をつぶさに取材し、芽衣さん自身も過酷な状況に置かれていたことが明らかにされている。彼女のような母親を生んだ社会背景と虐待をめぐる問題点を著者・杉山春さんに話を聞いた。


■この10年で社会と家庭が変化した


――杉山さんは『ネグレクト―育児放棄 真奈ちゃんはなぜ死んだか』(小学館)でも、2000年に愛知県で起こった虐待死事件を取材されていて、『ルポ虐待』では、10年間で虐待の背景にあるものが変わったと書かれています。


杉山春さん(以下、杉山):『ネグレクト』で取材した事件では、家庭の中で事件が起きて、家庭の中で子どもが死にました。大阪二児置き去り死事件は「家庭の外」で起こったことだと思います。家庭が壊れ、子どもが育つ基盤が崩壊し、その後に起こったことです。芽衣さんは、夫と離婚後に行く場所を失い、子どもを連れて移動を繰り返しています。
離婚してから事件が起こるまではわずか1年。その間に愛知、大阪などに数回転居し、複数の男性と性的関係を持ったり、その男性たちの元に身を寄せたりしていました。女性が移動しているということが特徴的で、社会の変化を表しているように思います。


――社会の変化というのは?


杉山:最近では「宿カレ」という言葉もあります。しばらくの間、過ごす場所を確保するために男性の元にいるという。一生涯を添い遂げるという前提ではない男女の関係、というのは以前からあったかもしれませんが、格差が広がり続けると言われる社会において、愛している、好きだからではなく、実は生き延びるための手段として男性と関係をつくるという形が増えているのではないでしょうか。その背後にあるのは、貧困の問題だと思います。


■「誰かに助けてもらう」という権利意識のない母親


今年1月末に放送され、反響を呼んだNHKクローズアップ現代の特集「あしたが見えない〜深刻化する"若年女性"の貧困〜」。このなかで、周囲に頼るすべを持たず、託児所と寮があるという理由から風俗に勤務するシングルマザーの姿が紹介された。
ウートピでは以前、「若い女性が貧困に陥るワケとは? 一度ハマると抜け出せない2つの"貧困スパイラル"」という記事の中で、「不運が重なれば誰でも貧困に陥る」ことを指摘している。
杉山:シングルマザーの数は2000年に86.8万人だったのが、2005年には107.2万に激増しました。2010年には108.2万人。ここ10年間で家庭のあり方が大きく変わりました。同時に、非正規雇用が増え雇用形態も様変わりしました。
昔だったら働いてなんとか子どもを育てられた女性がそうではなくなって、2つの仕事をかけもったり、体のバランスを壊して働けなくなったり。家庭からも雇用からも放り出された女性たちが急激に増えたのではないでしょうか。


――離婚の直接の理由は芽衣さんの浮気だったようですが、別れた夫は芽衣さんへ養育費を払っていませんでした。実際に養育費の支払いを受けている母子家庭は19%に過ぎないという調査もあります(参考記事:8割が「元夫から養育費をもらえない」 シングルマザーの過酷な
現実と、知っておきたいお金の話)。


杉山:払える場合は払うこともありますが、特に離婚が多い貧困層では、払える状況ではないからということもあるでしょうね。芽衣さんの場合に限って言えば、芽衣さんと子どもに対して養育費を支払うということを誰も意識していなかった。
離婚が決まった話し合いには夫側の両親、芽衣さんの父親もいましたが、養育費の話は出なかったようです。芽衣さん自身も養育費をもらうものという権利意識を持っていなかった。養育費は子どもの権利です。居合わせた大人が誰も子どもの権利を意識していなかったことは間違いありません。それがこの事件で、子どもたちがここまで痛み苦しんだ原因のひとつだと思います。


――結果的に子どもが犠牲に......。


杉山:たとえば私が夫と離婚することになったとしたら、どうしたら離婚後の生活を成り立たせることができるのか、いろいろなところに相談したり問い合わせたりすると思います。けれど、そういった力がない人が多い。
公的なところで守られていることを知らないまま、一人で子どもを育てなければいけないんだと思って、離婚してしまう。自分にどういった権利があるのか知らない立場の人、芽衣さんのような人から見れば、無法地帯に放り出されるようなものではないかと思います。


■母として、女として、生きる価値とは


――芽衣さんは、結婚していた頃は、乳幼児健診や育児サークルの活動など公的な機関を積極的に利用し、周囲からは「若いのにしっかりしている」という評価もあったと『ルポ 虐待』にはあります。離婚後に公的な機関を利用しなかったのはなぜなのでしょう。


杉山:彼女が、自分の人としての価値をどこで捉えていたのかということと関係があると思います。芽衣さんは10代の頃から「早くママになりたい」という希望を持っていましたが、離婚して、母として失敗しているわけですよね。立派に子育てが出来ている間は、堂々と公的支援をつかうことができる。
しかし、母としての価値を失ってしまったと感じたときに、そうしたことが権利だとは思えない。彼女はもうひとつの自分の価値基準である、「かわいい」「モテる」という自分をアピールしていこうとしたのかもしれません。それで、SNSではオシャレをしてきれいにして、そういうかたちで自分に生きる価値があることを訴えていたのではないかと思います。


――公的な機関を利用して子どもたちを育てることより、SNSのなかで誰かから承認を得ることに「生きる価値」を見出したということなのでしょうか。それでもやはり、子どもを放置したことはなかなか説明がつかないように思います。


杉山:裁判では検察側の精神鑑定を精神科医が、弁護士側の心理鑑定を虐待に造詣の深い山梨県立大学の西澤哲氏が行いました。西澤氏は「娘と自分を重ね合わせている」とおっしゃいました。娘を直視することは、幼いころ放置されていた自分と向き合うこと。それができなかった。惨めな自分を受け入れられなかったと。
裁判で芽衣さんは、「幼い子どもたちの元に帰らなかったのは、2人が嫌だったのではなく、子どもたちの周囲に誰もいないというその状況が嫌だった」という内容の発言をしています。幼い頃、周囲に誰もいないまま放置されていた自分自身と向き合うことが出来なかったのだと思います。
(文=小川たまか/プレスラボ)


杉山春(すぎやま・はる)
1958年生まれ。雑誌記者を経て、フリーのルポライター。著書に、小学館ノンフィクション賞を受賞した『ネグレクト―育児放棄 真奈ちゃんはなぜ死んだか』(小学館)のほか、『移民環流―南米から帰ってくる日系人たち』『満州女塾』(新潮社)など