生命主義的救済観と尊厳死
ウ・マ・レ・ル?
アタラシイ・イキモノガ・ウマレル
アタラシイ・イキモノ
ボケた自分は/別な自分の/誕生かも/しれない
そうだ/別な自分が/これから/生まれるんだ
父上様/母上様/皆様
全文を撤回いたします/いつの日かわたしが/異常をきたし/たとえ何もわからず/コンコンと眠りつづけま/しょうとも
たとえ眠りからさめ/死にたいとのたうち/まわりましょうとも
心臓が力つきて/停止する/その時まで/その命を
たすけてください
生きられます/ように
それが/わたしの/願いと祈りです(大島弓子『8月に生まれる子ども』)
*「いのちが私を生きている」
生命主義的救済観の立場からすれば、そもそも「尊厳死」はありえないのかもしれません。