価値判断をわたしたちの手に

 田中美知太郎さんのいう「技術の技術」、それから鶴見俊輔さんのいう「哲学を汲みとること」。ここには、明晰判明な根拠はないけれど、ここは一つ身を預けた方がいいという判断までを含めた、より見晴らしのよい知恵があります。明晰判明とか明証性とか確実な根拠とは違う別の確かさが、わたしたちの社会生活や個人生活にはある。知識ではなく、昔から「知恵」と呼ばれてきたもの。鶴見さんが「汲みとるべき哲学」と言い、田中さんが「技術の技術」と呼んだのがまさにそれだと思うのです。
 わたしたちにいま、求められているのは、そういう知の基礎体力です。原発の問題にしても、あるいは下水・ごみ処理、環境問題にしても、私たちは全部、プロと呼ばれる人たち、あるいは科学者に判断を委ねてきました。でも、今ようやく見えてきたのは、科学者はごく限られた部分でしか、合理的には判断していないということです(鷲田清一『語りきれないことー危機と痛みの哲学』角川学芸出版、2012年、p172)。