少女漫画における近親同性愛

「でも/パパの心の中にカギのかかった部屋があって/誰もそこには入れない/千万の愛をそそがれてもただひとつが得られないために/自分自身も世界も無価値だと思い込んでしまう・・・/そんな想いがあるわよね」
「―母のことをいっているの?」
「あは・・・ようやくポイント」
「何?」
「パパがおばさまを愛していたと思っているわけ?」
「ちがうの?でもわたしは」
「おばさまのことたぶん好きだったと思う/でもあの人が本当に愛していたのは/あの人のお兄さまよ/たった一人の/そんな顔しなくったって/自分と正反対にものに憧れるってよくあるでしょう/あるいはあの人が憧れたのはおじさまとおばさまの間の「絆」でもあるかもしれない/あの人が何よりほしかったそういう「絆」よ/だから兄の恋人をゆうわくしたんだわ/ところがその女(ひと)は彼の囚(とりこ)にはならなかった/逆上した彼は実力行使に訴える」
彼女は妊娠し/自殺未遂/それを助けた兄は/子供の父親を/名乗って/厳格な母から/義絶され
(弟は渡仏して絵画に没頭しはじめる)
なぜなら/絵画こそは/兄の生きる道と/なるはずだったから
その人がたどるはずだった/道をたどることでわずかでも愛する者に/同化できるように思えたから
佐藤史生「死せる王女のための孔雀舞(パヴェーヌ)」『死せる王女のための孔雀舞』復刊ドットコム、2012年(初出1981年、pp68-70、()部分は復刊では省略されている)


*大学生の時にこういうマンガを愛読していた私には、バトラーやセジウィックのクイア理論は特に新鮮ではありませんでした。